ヴァーツラフ1世 (ボヘミア王)
ヴァーツラフ1世(Václav I., 1205年 - 1253年9月22日)は、プシェミスル朝のボヘミア王(在位:1230年 - 1253年)。オタカル1世とハンガリー王ベーラ3世の娘コンスタンシアの次男。シロンスク公ヘンリク2世妃アンナは姉、後に列聖されたアネシュカは妹に当たる。防衛と洪水対策のために、プラハの町を高さ10メートル、長さ1,700メートルの市壁で囲んだことでも知られる[1]。プラハの聖アネシュカ修道院に埋葬された。
ヴァーツラフ1世 Václav I. | |
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ボヘミア国王 | |
ゲルンハウゼン写本のヴァーツラフ1世(15世紀) | |
在位 | 1230年 - 1253年 |
出生 |
1205年 ボヘミア王国 |
死去 |
1253年9月22日 ボヘミア王国、クラールーフ・ドヴール |
埋葬 | ボヘミア王国、プラハ、聖アネシュカ修道院 |
配偶者 | クニグンデ・フォン・ホーエンシュタウフェン |
子女 | 一覧参照 |
王朝 | プシェミスル朝 |
父親 | オタカル1世 |
母親 | コンスタンツィエ・ウヘルスカー |
子女
編集脚注
編集- ^ 上田篤、田端修『路地研究 もうひとつの都市の広場』鹿島出版会、2013年、172頁。ISBN 978-4-306-09423-9。
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