ヴァシーリー・ドクチャーエフ
ロシアの地理学者、地質学者
ヴァシーリー・ドクチャーエフ(ロシア語: Васи́лий Васи́льевич Докуча́ев, ラテン文字転写: Vasily Vassilievitch Dokuchaev、1846年3月1日 - 1903年11月8日Vasily Vassilievitch Dokuchaev[1])は、ロシアの地質学者、土壌科学者。
ヴァシーリー・ドクチャーエフ | |
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生誕 |
1846年3月1日 ミリュコボ |
死没 |
1903年11月8日 サンクトペテルブルク |
署名 | |
プロジェクト:人物伝 |
生涯
編集ロシア帝国スモレンスク地域の寒村ミリュコボで生まれた。両親は司祭だった。スモレンスク神学校やサンクトペテルブルク神学アカデミーで学ぶが、しかしのちに科学に転じて、サンクトペテルブルク大学に入学して自然科学を学ぶ。1871年、同大学修士課程修了。1872年、同大学キュレーター。1878年、同大学博士号取得。サンクトペテルブルク大学で教授に任命された。長年にわたって勤めたあと1897年、健康を理由にして退職した。1883年に発表した論文「ロシアのチェルノーゼム」は大きな反響を呼び、土壌を分類するなど土壌学に多大な貢献を為した。後にドクチャーエフ土壌研究所設立。著書に「現代の土壌学の科学と人間活動における立場と役割」(1899年)[2]。1903年にロシア帝国サンクトペテルブルクで没した。同地にあるスモレンスキー・ルーテル派墓地に埋葬された。コンスタティン・グリンカ、ニコライ・シビルツェフ、ウラジーミル・ヴェルナツキーは弟子である。
ロシア帝国の聖スタニスラフ勲章と聖アンナ勲章、さらにフランスの農事功労章シュヴァリエ (Ordre du Merite agricole Chevalier)をそれぞれ授与された。ロシア科学アカデミー会員。火星にあるドクチャーエクレーターはドクチャーエフの名前からきている。
脚注
編集- ^ “Vasily Vasilyevich Dokuchayev|Russian ecologist”. Britannica. 2024年11月8日閲覧。
- ^ 「わしりーどくちやーえふ」『20世紀西洋人名事典』日外アソシエーツ 。コトバンクより2024年11月8日閲覧。