ワンダーパヒュームは、日本競走馬1995年に行われた第55回桜花賞を優勝したが、翌1996年にレース中の故障で安楽死となった。

ワンダーパヒューム
1995年11月12日 京都競馬場
品種 サラブレッド
性別
毛色 鹿毛
生誕 1992年3月7日
死没 1996年1月28日(4歳没)
登録日 1994年11月17日
抹消日 1996年1月28日
フォティテン
ラブリースター
母の父 トウショウボーイ
生国 日本の旗 日本北海道浦河町
生産者 信岡牧場
馬主 山本信行
調教師 領家政蔵栗東
厩務員 藤井美津子
競走成績
生涯成績 9戦2勝
獲得賞金 1億6965万7000円
勝ち鞍
GI 桜花賞 1995年
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※年齢は旧表記

戦歴

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ワンダーパヒュームは1995年1月8日、京都の新馬戦で1番人気だったのちのGI4勝馬マヤノトップガン[1]を抑えて勝ち上がった。

パヒュームはその後、寒梅賞(500万下条件)3着、アネモネステークス(桜花賞トライアルのオープン特別)2着を経て、1995年4月9日桜花賞[2]に出走した。公営笠松競馬所属の競走馬ライデンリーダーが注目を集め、ダンスパートナープライムステージといった有力馬がいる中、パヒュームは1勝馬であることもあり7番人気に留まる[3]。レースでは初騎乗となった田原成貴の手綱に導かれて、ダンスパートナーらの追撃を振り切り、優勝した。パヒュームの優勝タイムである1分34秒4は当時の桜花賞レコードであった。

続くオークスでは、桜花賞勝ちがフロック視されたうえ、短距離向きの血統であることからパヒュームは7番人気に甘んじた。だが、パヒュームは低評価を覆し、3着と健闘した。

秋はローズステークス4着からエリザベス女王杯に出走したが16着と惨敗。続く阪神牝馬特別でも10着に敗れ、この年を終えた。

最期

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1996年1月28日、古馬になったパヒュームは引退を賭けて、前年の桜花賞と同じ京都競馬場の芝1600メートルで行われる京都牝馬特別に出走した。ここ2戦惨敗が続いていたパヒュームは適距離であることから2番人気に支持された。ところが、パドックを見ていた解説の大川慶次郎は「パヒュームは明らかに調子が良くない」とパヒュームの調子を不安視していた。

大川の予言は最悪な形で的中することになる。パヒュームはレース中に3コーナー過ぎで故障し、競走を中止してしまう。診断の結果、左前脚複雑骨折を発症していたパヒュームは予後不良と診断され、安楽死の措置が採られた。

パヒュームの墓は故郷、浦河町の信岡牧場にある。

死後

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パヒュームの死から3年後、全弟ワンダーファングスプリングステークスを勝利し、クラシック戦線を賑わせたが、障害転向後の三木ホースランドパークジャンプステークスで故障発生し、予後不良となっている。

競走成績

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年月日 競馬場 競走名 頭数 オッズ
(人気)
着順 騎手 斤量
[kg]
距離状態 タイム
上り3F
タイム
勝ち馬/(2着馬)
1995.01.08 京都 4歳新馬 10 05.7 (2人) 01着 四位洋文 53 ダ1200m(良) 1:13.8 (36.0) -0.1 (タマビッグエックス)
0000.02.05 京都 寒梅賞 500万下 11 02.8 (1人) 03着 四位洋文 53 ダ1400m(良) 1:27.0 (38.7) -0.1 ダンツシュアー
0000.03.04 京都 アネモネS OP 13 06.6 (4人) 02着 四位洋文 54 芝1400m(良) 1:22.7 (35.4) -0.0 ヤングエブロス
0000.04.09 京都 桜花賞 GI 18 21.3 (7人) 01着 田原成貴 55 芝1600m(稍) 1:34.4 (35.8) -0.0 ダンスパートナー
0000.05.21 東京 優駿牝馬 GI 18 14.5 (7人) 03着 田原成貴 55 芝2400m(良) 2:27.3 (36.0) -0.6 ダンスパートナー
0000.10.22 京都 ローズS GII 16 06.5 (3人) 04着 田原成貴 55 芝2000m(良) 2:01.6 (34.8) -0.4 サイレントハピネス
0000.11.12 京都 エリザベス女王杯 GI 18 07.6 (4人) 16着 田原成貴 55 芝2400m(良) 2:28.3 (35.2) -1.1 サクラキャンドル
0000.12.17 阪神 阪神牝馬特別 GII 12 18.6 (8人) 10着 田原成貴 55 芝2000m(良) 2:01.4 (36.3) -1.1 サマニベッピン
1996.01.28 京都 京都牝馬特別 GIII 12 06.5 (2人) 中止 田原成貴 55 芝1600m(良) ショウリノメガミ

血統表

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ワンダーパヒューム血統 (血統表の出典)[§ 1]
父系 ノーザンダンサー系
[§ 2]

*フォティテン
Fotitieng
1984 黒鹿毛
父の父
Nureyev
1977 鹿毛
Northern Dancer Nearctic
Natalma
Special Forli
Thong
父の母
Dry Fly
1977 鹿毛
Mill Reef Never Bend
Milan Mill
Gay Missile Sir Gaylord
Missy Baba

ラブリースター
1979 鹿毛
トウショウボーイ
1973 鹿毛
*テスコボーイ
Tesco Boy
Princely Gift
Suncourt
*ソシアルバターフライ
Social Butterfly
Your Host
Wisteria
母の母
グッドサファイア
1971 鹿毛
*ロムルス
Romulus
Ribot
Arietta
クラツクリユウ *ヒンドスタン
*フレーミングファイア
母系(F-No.) プリンスリーギフト系(FN:10-a) [§ 3]
5代内の近親交配 Nasrullah5×5=6.25% [§ 4]
出典
  1. ^ netkeiba.com
  2. ^ netkeiba.com
  3. ^ netkeiba.com,[3]
  4. ^ netkeiba.com

父フォティテンはフランスで走り、通算10戦2勝。G3シェーヌ賞勝ち。

祖父ヌレイエフについては同馬の項を参照。

母ラブリースターは「天馬」と賞された名種牡馬トウショウボーイの初年度産駒で、通算31戦6勝。4歳時にエリザベス女王杯3着、5歳時に金鯱賞北九州記念に優勝している[3] 。5歳時の主戦騎手が田原成貴であった。

全兄ワンダーワイルは中央競馬で4勝。

全弟ワンダーファングはスプリングステークス優勝など中央競馬で4勝(うち障害1勝)。

脚注

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  1. ^ のちに田原が主戦騎手となるが、この時にトップガンに騎乗していたのは武豊である。
  2. ^ この年は元々、阪神競馬場で施行される予定だったが、阪神・淡路大震災の影響で開催が京都競馬場に変更された。
  3. ^ a b c 池端成功『ダービースタリオン96 繁殖牝馬カタログ』アスペクト、1996年、112頁。ISBN 4-89366-501-4 

外部リンク

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