ワクワク
ワクワク(アラビア語: الواق واق、al-Wāqwāq)は、中世アラブ世界で、東方の彼方にあると考えられていた土地である。ワクワク島、ワクワクの国、ワークワーク、ワクワーク、ワーク、ワク、ヴァクヴァク島、幸福の島などとも呼ばれる。
実際の場所としては複数の説がある(後述)[1]。
伝承
編集アラビア語およびペルシア語の地理書では、「ワークワーク」(الواق واق、al-Wāqwāq)ないし「ワクワーク」(الوق واق、al-Waqwāq)と呼ばれる地域がたびたび言及されている。
ワクワクに関する現存最古の文献は、9世紀半ばに著されたイブン・フルダーズベのアラビア語最古の地誌『諸道と諸国の書』(アラビア語: كتاب المسالك والممالك / Kitāb al-Masālik w’al-Mamālik、『諸道諸国誌』とも)、およびイスタフリーの同名の地理書『諸道と諸国の書』(Kitāb al-Masālik wa al-mamālik)である[1]。
それによると、ワクワクはスィーン(al-Ṣīn、支那 = 中国)の東方にある。黄金に富み、犬の鎖や猿の首輪、衣服まで黄金でできている[2]。また黒檀(実際はインド原産)を産し、黄金と黒檀を輸出している。さらに、シーラ (Shīlā) という国がカーンスー(Qānṣū、杭州か揚州)の沖にあり、やはり黄金に富むという[3]。
10世紀のブズルグ・イブン・シャフリヤールによる『インドの不思議』(Kitāb ‘Ajā'ib al-Hind 『インド神秘の書』とも)にもワクワクが登場する。ワクワクには「ワクワクの木」という樹木があり、果実は人間の形をしているが、ウシャル Calotropis procera のように中空で、収穫するとしぼんでしまう。サマンダル (samandal) という鳩大の鳥がおり、火の中に入っても死なず、土だけを食べて何日も生きることができる。また、イスラム暦334年(西暦945年または946年)にワクワクの船団がカンバルフ (Qanbaluh、ザンジバルまたはマダガスカルの町[4]。もしくはタンザニアのペンバ島[5])などアフリカ東岸各地を襲撃した事件が語られている。
13世紀後半のザカリーヤー・カズウィーニーの『諸国の遺跡』(Kitāb āthār al-bilād wa-al-akhbār al-ʿibād)では、ワクワクの木には女性の形をした実が生り、髪の毛で枝からぶら下がっている。熟するとワークワークと啼き、ワクワクの人々はそれを凶兆と考えている[6]。
『千夜一夜物語』の1エピソード(バートン版第778–831夜「バッソラーのハサン」[7]、マルドリュス版第576–615夜「ハサン・アル・バスリの冒険」)にはワークの島々が登場する。この話は日本の羽衣伝説に似た設定[8]で、ワークの王女がハサンに衣を隠されて帰れなくなりハサンの妻となることから物語が始まる。ワークは7つの島からなり、住民はほとんどが女性であり[9]、人間そっくりの実をつけワークワークと啼く木が生えていることがその名の由来であると書かれている[4]。
多くの伝承ではワクワクは中国の東方の島とされるが、イドリースィーが1154年に描いた地図では、スィーン(中国)の南方にシーラの島々が、そのさらに南にワクワクがあり、ワクワクはアフリカと陸続きとなっている。
比定
編集イブン・フルダーズベの『諸道と諸国の書』をヨーロッパに紹介したオランダのミヒール・ヤン・ド・フーイェ (Michael Jan de Goeje) は、広東語で日本の古名「倭国(わこく)」の発音 wo-kwok が、ワクワクの語源だとした。また、シーラは新羅(しんら/しらぎ)だとした。それに対しフランスのガブリエル・フェランは、ワクワクはスマトラとマダガスカルだとした[1][10]。
このほか、オットー・ダール (Otto Dahl) によるボルネオ説、的場節子によるフィリピン説などがある[10]。
倭国説はガブリエル・フェランが論文で批判しているが、日本では批判説の紹介が遅かったことから浸透しており[11]、一般の書籍[12][13]や地理関係の啓蒙書にも記載されている[11]。
7世紀にアラブ勢力によって、ペルシャが侵略され、イスラーム教がペルシャに広まると、10世紀から11世紀頃にペルシャの熱心なゾロアスター教徒の一部がペルシャを離れ、伝説のワクワク(島)として知られていたマダガスカル島に独自の入植地を築いた。
脚注
編集- ^ a b c 山口博 2006, p. 191.
- ^ 宮崎正勝『ジパング伝説』中公新書、2000年、172頁。
- ^ 山口博 2006, p. 192.
- ^ a b 長谷川亮一. “金銀島/【第2章】ワークワークの不思議な樹”. boumurou.world.coocan.jp. 2023年6月12日閲覧。
- ^ 家島彦一「ブズルク・ブン・シャフリヤール『インド奇談集』に関する新資料」『アジア・アフリカ言語文化研究』第59巻、東京外国語大学アジア・アフリカ言語文化研究所、2000年3月、19頁、doi:10.15026/21867、hdl:10108/21867、ISSN 0387-2807、CRID 1390295658309627264、2023年7月7日閲覧。
- ^ エドワード ヰリヤム レーン & 森田草平 1925, p. 488.
- ^ リチャード・バートン & 大場正史 2015, p. 10.
- ^ 矢島文夫 1992, p. 46.
- ^ 西村真次 1927, p. 344.
- ^ a b 的場節子(1999).
- ^ a b 的場節子(1999), p. 1
- ^ 『ワンピース最終研究7 うねりだす時代が呼び起こす未来予報図』笠倉出版社、2015年、102頁。ISBN 9784773088168 。
- ^ 山口博『平安貴族のシルクロード』角川学芸出版〈角川選書 397〉、2006年9月1日、191頁。ISBN 9784047033979。
参考文献
編集- ブズルグ・イブン・シャフリヤール著、藤本勝次・福原信義訳注『インドの不思議』関西大学出版部、1998年、ISBN 978-4-87354-053-5
- 家島彦一訳注『中国とインドの諸情報』平凡社、東洋文庫全2巻(東洋文庫766, 769)、2007年9月.12月刊 (第一の書・著者不明、第二の書・スィーラーフ出身のアブー・ザイド・アル=ハサン著述) ISBN 978-4-58280-766-0, ISBN 978-4-58280-769-1
- 長谷川亮一『ワークワークの不思議な樹』
- 的場節子 (1999-09). “南海のワクワク,シーラと古地図に見る極東黄金島再考” (PDF). 歴史地理学 (歴史地理学会) 41 (4): 1-20. ISSN 03887464. CRID 1520853833515555712 .
- エドワード ヰリヤム レーン; 森田草平 (1925). 千一夜物語. 国民文庫刊行会. p. 488. OCLC 835591647
- 西村真次『神話學概論』早稲田大学出版部〈文化科學叢書〉、1927年、343頁。doi:10.11501/1179524。全国書誌番号:47027165 。
- 矢島文夫 (1992). アラビアン・ナイト99の謎. PHP研究所. p. 49. ISBN 9784569564364
- 山口博 (2006). 平安貴族のシルクロード. 角川学芸出版. p. 191. ISBN 9784047033979
- リチャード・バートン; 大場正史 (2015). 千夜一夜物語巻6の2. グーテンベルク21. p. 10. ASIN B00U3AJ4T0