ロンドン級重巡洋艦
ロンドン級重巡洋艦(ロンドンきゅうじゅうじゅんようかん、London class heavy cruiser)はイギリス海軍が建造した重巡洋艦でカウンティ級重巡洋艦の第二グループである。
ロンドン級重巡洋艦 | |
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改修後の「ロンドン」 | |
基本情報 | |
艦種 | 重巡洋艦 |
運用者 |
イギリス海軍 オーストラリア海軍 |
同型艦 | 4 |
要目 | |
基準排水量 | 9,750 トン |
全長 | 632.97 ft (192.93 m) |
水線長 | 594.98 ft (181.35 m) |
最大幅 | 66.01 ft (20.12 m) |
吃水 | 17.0 ft (5.2 m) |
主缶 | アドミラリティ式重油専焼三胴型水管缶×8基 |
主機 | パーソンズ式 ギヤードタービン×4基 |
推進器 | スクリュープロペラ×4軸 |
出力 | 80,000 hp (60,000 kW) |
最大速力 | 32.5ノット (60.2 km/h)(満載時30ノット (56 km/h)) |
航続距離 | 12,500海里 (23,200 km) / 12 ノット |
燃料 | 重油:3,210 トン |
乗員 | 700名 |
兵装 |
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装甲 |
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搭載機 | 水上機:1基(1941年:撤去) |
レーダー |
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概要
編集本級は1922年に締結されたワシントン条約の制限に基づき、基準排水量は1万トン以下で主砲は20.3cm(8インチ)砲を搭載する条約型重巡洋艦として設計されたのが本級である。1925年度計画において4隻が建造された。艦名に州名(カウンティ)が名づけられた事からカウンティ級と呼称されているがネームシップの「ロンドン」以外の3隻はイングランドの州名が採用された。速力改善のために水線部のバルジを廃止したために防御力が低下した。
1隻の戦没艦も生じずに戦い抜いた幸運なクラスである[1]。
艦形
編集本級の基本設計はエメラルド級軽巡洋艦延長であるが基準排水量が1万トン台の大型となったため、水面からの乾舷が艦首から艦尾まで高く、側面には凌波性を良くするフレア(反り返り)の付いた平甲板型船体を採用できた。水線部の船体形状は船体長は192mもあり、船体の幅を抑えた水の抵抗を少ない船体形状に成形した事により少ない機関出力でも高速を出しやすい形状であった。
垂直に切り立った艦首から艦首甲板上に20.3cm砲を収めた連装式の主砲塔が背負い式配置で2基、2番主砲塔の基部から上部構造物が始まり、その上に近代的な塔型艦橋が立つが前級において2番主砲塔と艦橋の位置が近かったために前部主砲を側面に向けて撃つと爆風被害を受けるために本級において約7.5m間隔が開けられたのが外観上の識別点である。
艦橋の背後に簡素な単脚式の前後マストに挟まれるように2番煙突のみ太い3本煙突が立つ。艦橋に煤煙がかからないように煙突は後方に傾斜されたが、効果が無かったために公試中に煙突を約4.6m高くして改善する必要があった。煙突の周囲は艦載艇置き場となっており、2本1組のボード・ダビッドが片舷4組ずつ計8組により運用された。
中央甲板の後方は水上機施設で、水上機は3番煙突の基部に設けられたクレーンが片舷1基ずつ計2基で運用され、船体後部に水上機1機を収められる格納庫が設けられ、上部は後部見張所を兼ねていた。後部マストの後方の後部甲板上に20.3cm連装砲塔が後向きに背負い式配置で2基配置された。
本級の副武装・対空火器として10.2cm高角砲は単装砲架で片舷2基ずつ計4基が3本煙突の側面に配置され、舷側甲板上に53.3cm四連装魚雷発射管で片舷1基ずつ計2基が配置された。舷側部は客船のように艦首から艦尾まで上下2列の舷窓が立ち並び、同時期のフランス海軍の巡洋艦と同じく海外に植民地を持つ外洋海軍ならではの高温多湿の海外任務で乗員が健康を損ねないように設計されている事が窺える。
なお、ロンドンのみ1939年~1941年にかけてチャタム海軍工廠にて大規模な改装が行われ、艦橋構造はクラウン・コロニー級軽巡洋艦に準じた形状に代わり、前後のマストは三脚型に更新、煙突の本数は2本煙突となった。格納庫は1番煙突の基部に変更されたが対空火器の増設により航空施設は廃止された。この改造により重量増加して船体にゆがみが生じて漏水する始末で、舷側と船底に新たに外板を張り増す必要があった。
兵装
編集主砲
編集主砲は新設計の「Mark VIII 20.3cm(50口径)砲」である。特徴としては、同世代の連合側では極めて軽い116.1kgの砲弾を仰角45度で28,030mまで到達させる射程を得ている。俯仰能力は仰角70度、俯角3度である。旋回角度は単体首尾線方向を0度として左右150度である。発射速度は毎分6発であるが実用速度は3発程度であった。
仰角70度というのはこの時期の重巡洋艦として破格の大仰角であるが、これは20.3cm砲と言う大口径砲を対空砲として使用すると言う、運用的に問題がある要求があったため設計である。このため対艦用の揚弾筒の他に、専用の対空射撃用の揚弾筒を備えている。砲身の俯仰速度も毎秒10度と高角砲並みのハイピッチで設計されていた。しかし、砲塔を旋回させる水圧ポンプの出力が低かったために目標への追従能力にも欠け、発射速度もカタログデータでさえ3発程度であり、実際に20.3cm砲での対空砲撃は非常に困難なものになった。さらに、俯仰速度が速すぎて正確な操作が出来ず、無理な構造が祟って1929年まで故障が続発して実用上問題のある砲塔であった。その為イギリス海軍は「ノーフォーク級」以降、仰角を50度に抑え対空射撃用の揚弾筒を廃止した、新型のMark II型連装砲塔へと改設計を行っている。
備砲、魚雷兵装
編集高角砲は「Mark V 10.2cm(45口径)高角砲」を採用している。その性能は14.6kgの砲弾を仰角44度で15,020m、最大仰角80度で9,450mの高度まで到達できた。単装砲架は左右方向に180度旋回でき、俯仰は仰角80度、俯角5度で発射速度は毎分10~15発だった。これを単装砲架で4基8門を搭載したが後に主砲が対空砲として有用ではないと解ってから連装砲架で4基8門に増備した。
他に近接攻撃用に「ヴィッカース 4cm(39口径)ポンポン砲」を採用し、単装砲架で2基搭載したが、主砲が対空砲として有用ではないと解ってから新設計の八連装砲架で片舷1基ずつ計2基に更新した。八連装と言うのは機関砲の搭載形式では類例がなく、これは四連装砲架を接続したもので構造が複雑化したために実戦では弾詰まりや追従速度の低下を招いて対空火器としての有効性に問題があった。
他に主砲では手に負えない相手への対抗として53.3cm魚雷発射管を四連装で片舷1基ずつ計2基装備した。しかし、本級特有の高い艦舷から海面へ射出される「Mark V魚雷」は射入時に強度不足により破損するという問題が生じ、側面を強化した新型魚雷「Mark VII魚雷」が配備されるまで本級の魚雷兵装は有効でなかった。
防御
編集防御装甲の配置はホーキンス級重巡洋艦では同時期に設計された巡洋戦艦「フッド」と同じく 舷側に傾斜装甲を採用するなど工夫が見られたが、本級の装甲配置は装甲巡洋艦と同じく舷側に直接装甲板を貼る直接防御のままであった。装甲厚においては舷側装甲は機関区水線部のみ25mmで主砲塔の側面は無防御であり、艦内の弾薬庫の壁面に102mm装甲、天蓋の64mmで防御する形式であった。主甲板の防御も32mmでしかなかった。
しかし、前級では防御区画外に設置されていた艦橋下方電信室や配電盤室などを高角砲弾薬庫跡に移設するなど、防御面が配慮されていなかったわけではない[1]。
同型艦
編集脚注
編集参考文献
編集- 「British and Empire Warships of the Second World War, H T Lenton, Greenhill Books, ISBN 1-85367-277-7」
- 「Conway's All the World's Fighting Ships 1922-1946, Naval Institute Press, ISBN 0-87021-913-8」
- 「世界の艦船」 海人社
- 「世界の艦船 2006年6月号 特集=回想の条約型重巡」(海人社)
- 「世界の艦船増刊第46集 イギリス巡洋艦史」(海人社)