ロベルト・フレスネドソ
ロベルト(Roberto)ことロベルト・ルイス・フレスネドソ・プリエト(Roberto Luis Fresnedoso Prieto、1973年1月15日 - )は、スペイン・カスティーリャ・ラ・マンチャ州トレド出身の元サッカー選手。現役時代のポジションはMF。
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名前 | ||||||
本名 | ロベルト・ルイス・フレスネドソ・プリエト | |||||
ラテン文字 | Roberto | |||||
基本情報 | ||||||
国籍 | スペイン | |||||
生年月日 | 1973年1月15日(51歳) | |||||
出身地 | トレド | |||||
身長 | 184cm | |||||
体重 | 83kg | |||||
選手情報 | ||||||
ポジション | MF | |||||
利き足 | 右足 | |||||
ユース | ||||||
ジローナ | ||||||
クラブ1 | ||||||
年 | クラブ | 出場 | (得点) | |||
1990-1991 | ジローナ | 17 | (3) | |||
1991-1993 | ルスピタレート | 60 | (11) | |||
1993-1995 | エスパニョール | 69 | (8) | |||
1995-2002 | アトレティコ・マドリード | 139 | (13) | |||
1998 | → エスパニョール (loan) | 18 | (1) | |||
2002-2003 | サラマンカ | 40 | (10) | |||
2003-2004 | ムルシア | 8 | (0) | |||
2004 | ラージョ・バジェカーノ | 10 | (1) | |||
2004-2005 | クルトゥラル・レオネサ | 25 | (7) | |||
通算 | 384 | (54) | ||||
代表歴 | ||||||
1994-1996 | スペイン U-21 | 14 | (4) | |||
1996 | スペイン U-23 | 3 | (0) | |||
1. 国内リーグ戦に限る。 ■テンプレート(■ノート ■解説)■サッカー選手pj |
クラブ経歴
編集カスティーリャ・ラ・マンチャ州のトレドに生まれたが、ロベルトが10代の時にカタルーニャ州へ移住した。1990-91シーズンにジローナFCでプロデビューし、その後はカタルーニャのクラブであるCEルスピタレートやRCDエスパニョールへのステップアップを経験し、1992-93シーズンのエスパニョールでラ・リーガデビューを果たした。
1994-95シーズン、自身2度目のラ・リーガでのシーズンだったが、開幕からレギュラーに定着し、クラブは最終的にUEFAカップ出場権を獲得した。このシーズン終了後、ロベルトはアトレティコ・マドリードへと移籍した。アトレティコ1シーズン目となる1995-96シーズンはレギュラーとして試合に出場し続け、第37節のリーグ優勝のために絶対に落とせないFCバルセロナ戦では、敵地での試合ながら3-1でバルセロナを破るゴールを決めた。アトレティコはその後の試合でも勝ち点を重ね、1995-96シーズンのラ・リーガ優勝を飾り、コパ・デル・レイでも優勝したことで国内2冠を成し遂げた[1]。しかし、1997-98シーズンは出場機会が減少したことから、冬の移籍市場で古巣エスパニョールに半年間のレンタル移籍をした[2]。1999-00シーズンにアトレティコはセグンダ・ディビシオンへ降格してしまうが、ロベルトはクラブに留まることを決め、プリメーラ復帰を果たす2001-02シーズンまでクラブに残った。
アトレティコのプリメーラ復帰を見届けたロベルトは2001-02シーズン終了後のアトレティコを退団し、UDサラマンカ、レアル・ムルシア、クルトゥラル・レオネサなどの短期間在籍して現役を引退した。
タイトル
編集クラブ
編集- アトレティコ・マドリード
- ラ・リーガ : 1回 (1995-96)
- コパ・デル・レイ : 1回 (1995-96)
- セグンダ・ディビシオン : 1回 (2001-02)
- RCDエスパニョール
- セグンダ・ディビシオン : 1回 (1993-94)
関連項目
編集脚注
編集- ^ "Aquel era un equipo extraño"; Marca, 2016年5月25日, スペイン語
- ^ Roberto será cedido al Espanyol hasta junio, según Antic; El País, 1997年12月30日, スペイン語