ロベルト・エンゲルス(Robert Engels、1866年3月9日 - 1926年5月24日)は、ドイツの画家、イラストレーター、版画家である[1].。ミュンヘン王立工芸学校(Königliche Kunstgewerbeschule München)の教師も務めた。

ロベルト・エンゲルス
Robert Engels
ロベルト・エンゲルス作「3人のミューズ」
生誕 (1866-03-09) 1866年3月9日
ゾーリンゲン
死没 1926年5月24日(1926-05-24)(60歳没)
ミュンヘン
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略歴

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ノルトライン=ヴェストファーレン州ゾーリンゲンの金属製品を扱う商人の家の長男に生まれた。父親の商売を継ぐように教育されたが、商売に興味がなく1885年に父親が亡くなった後、商売を弟に譲り、デュッセルドルフ美術アカデミーに入学し、1889年までアカデミーで学んだ。アカデミーではクローラ(Hugo Crola)やヨハン・ピーター・テオドール・ヤンセンハインリヒ・ラウエンシュタイン、アドルフ・シルらに学んだ。アカデミーを卒業後した後、フランス、ベルギー、イギリスで修行した後、デュッセルドルフに定住し、ドイツにおけるアール・ヌーヴォーユーゲント・シュティール)などの美術を紹介したことで知られるミュンヘンの雑誌「ユーゲント(Jugend)」に多くの作品を寄稿した。

1898年にミュンヘン王立工芸学校の教師になる要請を受け、ミュンヘンに移り、1908年にミュンヘンで教え子のGustava von Veithと結婚した。1910年に教授の称号を与えられた。エンゲルスの教えた学生にはフランツ・コルブランド(Franz Kolbrand)、エルヴィン・ヨハネス・ボヴィーン(Erwin Bowien)、オットー・ミカエル・シュミット(Otto Michael Schmitt)、カール・オットー・ミュラー(Carl Otto Müller)らがいる。1912年にドイツ工作連盟に参加した。

パリで出版された美術誌「レスタンプ・モデルヌ(現代版画)」の編集者、アンリ・ピアッツァと親しくなり、版画を「スタンプ・モデルヌ」に発表し、ジョゼフ・ベディエがフランス語に翻訳して出版した「トリスタンとイゾルデ」の挿絵や、ゲルマンの神話に関する書籍の挿絵を描いた。教会や個人宅のステンドグラスのデザインや、舞台美術の仕事もした。

1927年にミュンヘンで亡くなった。1934年に未亡人は美術作品Iなどをゾーリンゲンに設立された財団(Robert Engels Memorial Foundation)に寄付した。

作品

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脚注

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  1. ^ Rivista biblio-iconografica , janvier 1902, page 323.

参考文献

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  • Franz Hendrichs, Robert Engels 1866-1926. Ein Lebensbild des Künstlers, Solingen, 1928