ロベルト・ウーゴ・ディ・ボルボーネ=パルマ
ロベルト・ウーゴ・ディ・ボルボーネ=パルマ(イタリア語: Roberto Ugo di Borbone-Parma, 1909年 - 1974年)は、ボルボーネ=パルマ家家長および名目上のパルマ公(1959年 - 1974年)。最後のパルマ公ロベルト1世の孫にあたる。
ロベルト・ウーゴ・ディ・ボルボーネ=パルマ Roberto Ugo di Borbone-Parma | |
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ボルボーネ=パルマ家家長 | |
在位 | 1959年 - 1974年 |
全名 |
一覧参照
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出生 |
1909年8月7日 ドイツ帝国 プロイセン王国、ヘッセン=ナッサウ県ヴァイルブルク |
死去 |
1974年11月25日(65歳没) オーストリア、ウィーン |
埋葬 | オーストリア、メーニッヒキルヒェン |
父親 | エリア・ディ・ボルボーネ=パルマ |
母親 | マリーア・アンナ・フォン・エスターライヒ |
宗教 | キリスト教カトリック |
生涯
編集ボルボーネ=パルマ家の摂政であったエリアとテシェン公女マリーア・アンナの次男としてヴァイルブルクに生まれる。1912年に兄カルロが夭逝したため、パルマ公家の法定推定相続人となった。
1959年の父の死去によりボルボーネ=パルマ家の家長、および名目上のパルマ公ロベルト2世(イタリア語: Roberto II)となった。1974年に65歳で死去。生涯結婚せず、嗣子を持たなかったため、父の異母弟でカルリスタ王位請求者でもあったハビエル(サヴェリオ)が家長位を継いだ。
脚注
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