ロバート・ザラテ
ロバート・アレキサンダー・ザラテ・ラデラ(Robert Alexander Zarate Ladera, 1987年2月1日 - )は、ベネズエラのカラボボ州バレンシア出身のプロ野球選手(投手)。現在は、フリーエージェント(FA)。
基本情報 | |
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国籍 | ベネズエラ |
出身地 | カラボボ州バレンシア |
生年月日 | 1987年2月1日(37歳) |
身長 体重 |
6' 3" =約190.5 cm 200 lb =約90.7 kg |
選手情報 | |
投球・打席 | 左投左打 |
ポジション | 投手 |
プロ入り | 2005年 アマチュアFA |
初出場 | NPB / 2012年8月5日 |
最終出場 | NPB / 2013年7月27日 |
経歴(括弧内はプロチーム在籍年度) | |
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この表について
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経歴
編集プロ入り前
編集野球を始めたのは16歳の時で、それまではサーフィンをやっていた[1]。
プロ入りとブルージェイズ傘下時代
編集2005年に、ウデ・セーザー・スメタ高校からトロント・ブルージェイズに入団。
2009年までは主にルーキーリーグで過ごした。
ダイヤモンドペガサス時代
編集2010年8月に来日し、ベースボール・チャレンジ・リーグ(BCリーグ)の群馬ダイヤモンドペガサスに入団。13試合に登板し、20回2/3を投げて1勝2敗、被安打12・19奪三振・5四死球・防御率0.87の成績を残した。
阪神タイガース時代
編集2010年オフ、リリーフ投手の強化を目指していた阪神が獲得に向け入団交渉を行い、10月29日に育成選手契約を結んだ[2]。この時の背番号は「116」であった。
2011年は、2月のキャンプ中に左上腕二頭筋の軽度挫傷を負ったため、実戦登板は5月にずれ込んだ[3]。7月頃には支配下選手登録内定という報道も出たが、結果的には見送られた[3]。同年は、二軍のウエスタン・リーグで11試合に登板し、0勝0敗、防御率3.00であった。11月1日に育成選手契約を延長した[4]。
2012年シーズンは、7月24日までにウエスタン・リーグで中継ぎ投手として21試合に登板し、23回を投げて防御率0.00(失点1・自責点0)と好成績を残した[5]。この活躍もあって、7月24日、同じく育成選手の玉置隆と共に支配下選手登録された[5][6]。背番号は「95」に決定し[5]、阪神でこの背番号を着ける初めての現役選手となった。支配下登録から約2週間後の8月5日に安藤優也との入れ替わりで一軍登録され[7]、同日の対広島東洋カープ戦(MAZDA Zoom-Zoom スタジアム広島)で、7回裏より2番手でプロ初登板。速球は154 km/hを記録したものの、四球や自身の失策も絡んで3失点(自責点2)を喫した[8]。
2013年は抑えであった藤川球児がシカゴ・カブスへ移籍したため、新守護神候補として期待されていたが、前年10月に左肩肩峰下滑液包炎を発症。1月末の時点でキャッチボールを行うことができないなど、回復が予想以上に遅れた[9]。5月30日にようやく中日ドラゴンズとの二軍戦で復帰。7月26日にブレイン・ボイヤーと入れ替わりで一軍昇格すると、同日の対横浜DeNAベイスターズ戦で復帰後初の一軍登板を果たし、1回を無失点に抑えたが、翌日の試合では2/3回を1安打2四球で1失点と乱れ、わずか2日で二軍降格となった。その後、今後の出場予定がなくなったため、シーズン中の9月5日に帰国した[10]。12月2日に自由契約公示された。
ダイヤモンドペガサス復帰
編集レイズ傘下時代
編集2015年1月21日にタンパベイ・レイズとマイナー契約を結んだ[12]。2月1日にAA級モンゴメリー・ビスケッツに配属されたが4月6日に故障者リストに入った。6月8日にA+級シャーロット・ストーンクラブズに配属され1試合1回登板し、6月11日にAAA級ダーラム・ブルズに昇格した[13]。11月6日にFAとなった[13]。
パイレーツ傘下時代
編集2015年12月7日、ピッツバーグ・パイレーツとマイナー契約を結び、2016年のスプリングトレーニングに招待選手として参加することになった[14]。2016年6月13日に自由契約となった[15]。
2017年は無所属。10月からは母国ベネズエラのウィンターリーグ(LVBP)でプレーした。
インディアンス傘下時代
編集2018年1月4日にクリーブランド・インディアンスとマイナー契約を結び、スプリングトレーニングに招待選手として参加することになった[13]。開幕後はAAA級コロンバス・クリッパーズに配属され、29試合登板、3勝1敗1セーブ、防御率3.30の成績を残していたが、7月20日に自由契約となった[15]。
メキシカンリーグ時代
編集2018年7月27日にメキシカンリーグのティフアナ・ブルズと契約した[13]。8月16日にユカタン・ライオンズにトレード移籍した[13]。シーズン終了後に退団した。
その後はベネズエラのウィンターリーグでプレーを続けている。
プレースタイル
編集191 cmの長身から最速154 km/h[8]の速球を繰り出すほか、スライダーやフォークボール、チェンジアップなども投げる[16]。その一方で、制球力に課題がある[8]。球の速い左腕という共通点から、BCリーグ時代はアロルディス・チャップマンと比較され「群馬のチャプマン」と呼ばれた[17]。
詳細情報
編集年度別投手成績
編集年 度 |
球 団 |
登 板 |
先 発 |
完 投 |
完 封 |
無 四 球 |
勝 利 |
敗 戦 |
セ 丨 ブ |
ホ 丨 ル ド |
勝 率 |
打 者 |
投 球 回 |
被 安 打 |
被 本 塁 打 |
与 四 球 |
敬 遠 |
与 死 球 |
奪 三 振 |
暴 投 |
ボ 丨 ク |
失 点 |
自 責 点 |
防 御 率 |
W H I P |
---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|
2012 | 阪神 | 2 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | ---- | 12 | 2.0 | 4 | 0 | 1 | 0 | 0 | 2 | 0 | 2 | 3 | 2 | 9.00 | 2.50 |
2013 | 2 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | ---- | 9 | 1.2 | 2 | 0 | 2 | 0 | 0 | 1 | 0 | 1 | 1 | 1 | 5.40 | 2.40 | |
通算:2年 | 4 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | ---- | 21 | 3.2 | 6 | 0 | 3 | 0 | 0 | 3 | 0 | 3 | 4 | 3 | 7.36 | 2.45 |
- 2013年度シーズン終了時
記録
編集- NPB
- 初登板:2012年8月5日、対広島東洋カープ13回戦(MAZDA Zoom-Zoom スタジアム広島)、7回裏に2番手で救援登板、1回3失点(自責点2)
- 初奪三振:同上、7回裏に堂林翔太から見逃し三振
独立リーグでの投手成績
編集年 度 |
球 団 |
登 板 |
完 投 |
勝 利 |
敗 戦 |
セ 丨 ブ |
勝 率 |
打 者 |
投 球 回 |
被 安 打 |
被 本 塁 打 |
与 四 球 |
与 死 球 |
奪 三 振 |
暴 投 |
ボ 丨 ク |
失 点 |
自 責 点 |
防 御 率 |
W H I P |
---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|
2010 | 群馬 | 10 | 0 | 1 | 2 | 0 | .333 | 62 | 14.2 | 10 | 0 | 2 | 2 | 11 | 0 | 0 | 7 | 2 | 1.23 | 0.82 |
2014 | 17 | 0 | 4 | 4 | 1 | .500 | 253 | 58.0 | 51 | 0 | 26 | 8 | 56 | 2 | 0 | 26 | 16 | 2.48 | 1.33 | |
通算:2年 | 27 | 0 | 5 | 6 | 1 | .455 | 315 | 72.2 | 61 | 0 | 28 | 10 | 67 | 2 | 0 | 33 | 18 | 2.24 | 1.23 |
背番号
編集- 19 (2010年)
- 116 (2011年 - 2012年7月23日)
- 95 (2012年7月24日 - 2013年)
- 43 (2014年)
登場曲
編集- 「Si No Le Contesto」Plan B(2011年)
- 「Sexo, Sudor y Calor (feat. Ñejo & Dalmata)」J Alvarez(2012年)
- 「Hay Algo Que Me Gusta De Ti ( OFFICIAL REMIX )」Wisin & Yandel Ft. Chris Brown & T-Pain(2013年)
脚注
編集- ^ “阪神と育成契約ザラテ、160キロ超え自信”. nikkansports.com (2010年10月31日). 2012年7月24日閲覧。
- ^ “外国人選手との育成選手契約完了について”. 阪神タイガース (2010年10月29日). 2012年7月24日閲覧。
- ^ a b “ザラテ 支配下登録内定”. デイリースポーツ. (2011年6月18日). オリジナルの2011年8月24日時点におけるアーカイブ。 2011年10月27日閲覧。
- ^ “ロバート・ザラテ選手との育成選手契約締結について”. 阪神タイガース (2011年11月1日). 2011年11月1日閲覧。
- ^ a b c “阪神、ザラテと玉置を支配下登録”. サンケイスポーツ. (2012年7月24日). オリジナルの2012年7月28日時点におけるアーカイブ。 2012年7月24日閲覧。
- ^ “ザラテ投手、玉置投手が支配下選手登録”. 阪神タイガース (2012年7月24日). 2012年7月24日閲覧。
- ^ “【セ・リーグ公示】8月5日”. サンケイスポーツ. (2012年8月5日). オリジナルの2014年12月4日時点におけるアーカイブ。 2012年8月5日閲覧。
- ^ a b c “育成出身の虎・ザラテ、3失点デビュー”. サンケイスポーツ. (2012年8月5日). オリジナルの2015年9月24日時点におけるアーカイブ。 2012年8月5日閲覧。
- ^ “阪神ザラテ、左肩重症開幕大ピンチ”. nikkansports.com (2013年1月29日). 2013年2月20日閲覧。
- ^ “ロバート・ザラテ選手の帰国について”. 阪神タイガース公式サイト (2013年9月6日). 2013年9月6日閲覧。
- ^ “新入団選手のお知らせ”. 群馬ダイヤモンドペガサス (2013年4月26日). 2014年4月26日閲覧。
- ^ Bill Chastain (2015年2月3日). “Rays sign Belisario, Casilla to Minors deals” (英語). MLB.com. 2015年12月8日閲覧。
- ^ a b c d e MLB公式プロフィール参照。2021年10月2日閲覧。
- ^ “Bucs sign six players to Minor League deals” (英語). FantasySP. MLB.com. (2015年12月7日) 2015年12月8日閲覧。
- ^ a b “Robert Zarate Stats & Scouting Report”. Baseball America. 2021年10月2日閲覧。
- ^ “阪神・ザラテ、前日から“5者連続三振””. SANSPO.COM (2012年3月5日). 2012年4月7日時点のオリジナルよりアーカイブ。2012年7月24日閲覧。
- ^ “新助っ人ザラテ「虎のチャプマン」へ”. デイリースポーツ (2010年10月30日). 2010年12月30日時点のオリジナルよりアーカイブ。2012年7月24日閲覧。
関連項目
編集外部リンク
編集- 選手の通算成績と情報 MLB、ESPN、Fangraphs、The Baseball Cube、Baseball-Reference (Register)
- 個人年度別成績 ザラテ - NPB.jp 日本野球機構