レ・ボー=ド=プロヴァンス
レ・ボー=ド=プロヴァンス(Les Baux-de-Provence)は、フランス南西部ブーシュ=デュ=ローヌ県の小さな町。アルピーユ山脈の中にある、壮大な景観を持つ岩だらけの土地であり、南方の平野を見渡せる古城を頂いている。プロヴァンス語の baou (岩だらけの尾根、の意)に由来する町の名前は、その景観からつけられたものである。なお、ボーキサイト (bauxite) は、この町の名前にちなんでいる(後述)。
Les Baux-de-Provence | |
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行政 | |
国 | フランス |
地域圏 (Région) | プロヴァンス=アルプ=コート・ダジュール地域圏 |
県 (département) | ブーシュ=デュ=ローヌ県 |
郡 (arrondissement) | アルル郡 |
小郡 (canton) | サロン=ド=プロヴァンス1小郡 |
INSEEコード | 13011 |
郵便番号 | 13520 |
市長(任期) |
ミシェル・フェラール (2014年-2020年) |
自治体間連合 (fr) | fr:Communauté de communes Vallée des Baux-Alpilles |
人口動態 | |
人口 |
391人 (2015年) |
人口密度 | 22人/km2 |
住民の呼称 | Baussenques, Baussencs |
地理 | |
座標 | 北緯43度44分38秒 東経4度47分43秒 / 北緯43.743889度 東経4.795278度座標: 北緯43度44分38秒 東経4度47分43秒 / 北緯43.743889度 東経4.795278度 |
標高 |
平均:?m 最低:52m 最高:310m |
面積 | 17km2 (1 700ha) |
歴史
編集レ・ボー一帯は中世期に栄えた。ボーの領主は近隣の79の町村を支配下におさめ、プロヴァンスでその名が知られた。彼らは家紋にベツレヘムの星を用いていた。これは、彼らが東方の三博士の一人バルタザールの末裔を自称していたことによる(無論、史料的な裏付けのある話ではない)。この一族は最終的に15世紀に途絶えた。
その後、ボーの城はプロテスタントの牙城として利用されたため、1632年にはリシュリューによって破壊された。
この町は、1642年にモナコの領主グリマルディ家に譲り渡され、レ・ボー侯爵 (Marquis des Baux) の称号は現在でもモナコ大公家に受け継がれている。この称号は、伝統的に大公の一族が襲名することになっており、現在の称号の保持者はジャック公世子である(ただしこの称号は儀礼称号であり、レ・ボーは行政上は完全にフランスに属している)。
1822年にはレ・ボー付近で地質学者ピエール・ベルチェによって、ボーキサイトが発見された。以降、この一帯で広く採掘されたが、20世紀末に完全に枯渇した。現在のフランスは、ボーキサイトの大半を西アフリカからの輸入に頼っている。
現在のレ・ボー=ド=プロヴァンス
編集かつては4000人いた人口も約500人となっており、フランスのコミューンの中でもかなり小規模なものとなっている。かつての栄華をしのばせる城は廃墟となっているが、このような歴史的遺跡や景観は、現在のレ・ボーの収入源である観光業にとって重要なものとなっている。
人口統計
編集1962年 | 1968年 | 1975年 | 1982年 | 1990年 | 1999年 | 2006年 | 2015年 |
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253 | 295 | 367 | 433 | 457 | 434 | 381 | 391 |
参照元:1962年から1999年までは複数コミューンに住所登録をする者の重複分を除いたもの。それ以降は当該コミューンの人口統計によるもの。1999年までEHESS/Cassini[1]、2006年以降INSEE[2][3]
参照
編集外部リンク
編集- ウィキメディア・コモンズには、レ・ボー=ド=プロヴァンスに関するカテゴリがあります。
- 公式ウェブサイト