レン・ドーソン
レン・ドーソン(Len Dawson、1935年6月20日 - 2022年8月24日[1])は、オハイオ州アライアンス出身のアメリカンフットボール選手。ポジションはクォーターバック。背番号16はチーフスの永久欠番。カンザスシティ・チーフスを1962年、1966年、1969年と3回AFLチャンピオンに導き、第4回スーパーボウルではMVPに選ばれた[2]。
Len Dawson | |||||||||||||||
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パデュー大学時代のドーソン | |||||||||||||||
基本情報 | |||||||||||||||
ポジション | クォーターバック | ||||||||||||||
生年月日 | 1935年6月20日 | ||||||||||||||
没年月日 | 2022年8月24日(87歳没) | ||||||||||||||
出身地 |
アメリカ合衆国 オハイオ州アライアンス | ||||||||||||||
身長: | 6' 0" =約182.9cm | ||||||||||||||
体重: | 190 lb =約86.2kg | ||||||||||||||
経歴 | |||||||||||||||
大学 | パデュー大学 | ||||||||||||||
NFLドラフト | 1957年 / 1巡目全体5位 | ||||||||||||||
初出場年 | 1957年 | ||||||||||||||
初出場チーム | ピッツバーグ・スティーラーズ | ||||||||||||||
所属歴 | |||||||||||||||
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受賞歴・記録 | |||||||||||||||
AFLチャンピオン(3回) | |||||||||||||||
1962、1966、1969 | |||||||||||||||
スーパーボウル制覇(1回) | |||||||||||||||
第4回スーパーボウル | |||||||||||||||
スーパーボウルMVP(1回) | |||||||||||||||
第4回スーパーボウル | |||||||||||||||
シーズンMVP(1回) | |||||||||||||||
1966 | |||||||||||||||
プロボウル選出(1回) | |||||||||||||||
1971 | |||||||||||||||
その他受賞・記録 | |||||||||||||||
NFL 通算成績 | |||||||||||||||
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Player stats at PFR | |||||||||||||||
経歴
編集大学に進学する際、オハイオ州立大学とパデュー大学からリクルーティングを受けたが、ウッディ・ヘイズオハイオ州立大学ヘッドコーチのスプリットTオフェンスではなく、ハンク・ストラムアシスタントコーチのいるパデュー大学を選んだ。大学では3シーズンに渡りビッグ・テン・カンファレンストップとなる3,000ヤード以上を投げた。ディフェンスやキッカーとしてもプレーした。
1957年のNFLドラフト1巡全体5位でピッツバーグ・スティーラーズに指名された。彼は目立った活躍をすることはできず、チームは後に殿堂入りするボビー・レーンを獲得した。1959年12月31日、クリーブランド・ブラウンズにトレードされた。
ブラウンズではミルト・プラムと先発QBの座を争ったが、1961年シーズン終了後、解雇された[3]。2チームでの5シーズンでわずか21回のパス成功、204ヤード獲得、2TDパス成功にとどまった。
1962年6月30日、AFLのダラス・テキサンズ(後にカンザスシティ・チーフス)と契約を結んだ。この年TDパスとパス試投1回あたりの獲得ヤードでAFLトップの成績を残し、AFLのMVPに選ばれた。2年連続AFLチャンピオンとなっているヒューストン・オイラーズにダブルオーバータイムの末、20-17で勝利したAFLチャンピオンシップゲームではハーフバックのアブナー・ヘインズに28ヤードのTDパスを決めている。ダブルオーバータイムの決勝FGで彼はホルダーを務めた[4]。
1963年にチームはカンザスシティに移転してチーフスと名称を変えた。
機動性のある彼は、ストラムのムービングポケットオフェンスで活躍、AFLのパスタイトルを4回獲得、リーグのオールスターに6回選ばれた[2]。10年で幕を閉じたAFLで歴代最高のQBレイティングを残している。1962年から1969年まで彼は182TDパスをあげたが、これは同期間のAFL、NFLのQB中最多であった。
1966年、チームは11勝2敗1分で、AFLチャンピオンシップゲームでバッファロー・ビルズを31-7で破り、AFLチャンピオンとNFLチャンピオン同士の試合となる、第1回スーパーボウル出場を果たした。この試合でチーフスは10-35でグリーンベイ・パッカーズに敗れたが、ドーソンはパス27回中16回成功、210ヤード、1TD、1INTとまずまずの成績を残した。
1962年から7シーズン連続でパス2000ヤード以上を獲得した彼は、1969年第2週にひざを負傷した。当初はシーズン絶望も心配されるような状況であった。2年目の控えQBマイク・リビングストンが代役として6試合で先発出場、プレーオフでドーソンは先発QBに復帰し、ディフェンディングチャンピオンのニューヨーク・ジェッツ、AFLチャンピオンシップゲームでオークランド・レイダースをロードゲームで破り、第4回スーパーボウル出場を果たした。前年の第3回スーパーボウルで圧倒的不利と予想されていたAFLのニューヨーク・ジェッツがNFLのボルチモア・コルツを破る番狂わせを演じたものの、戦前の予想はNFL代表のミネソタ・バイキングスが有利であった。この試合でドーソンはショートパスを多用するゲームプランでパープル・ピープル・イーターズと呼ばれたバイキングスの強力ディフェンスを攻略、第2Qまでに16-0とリード[3]、オーティス・テイラーへの46ヤードのパスなど、パス17回中12回成功、142ヤード、1TD、1INTの成績をあげて、チームは23-7で勝利、彼はMVPに選ばれた。チーフスのこの勝利でAFLとNFLの統合を前にした対戦成績は2勝2敗のタイとなった[2]。チームがスーパーボウルの開催地、ニューオーリンズに到着後の1970年1月6日に、ドナルド・ドーソン(レン・ドーソンとは無関係)という人物が賭博容疑で逮捕され、彼に対するスポーツ賭博疑惑が突如起きたがこれを否定[5]、スチュアート・サイミントン上院議員もその疑惑を根も葉もないものと否定した。
1970年にAFLとNFLが統合した後、彼はオールタイムAFLのセカンドチームに選ばれた。この年の11月1日、オークランド・レイダース戦では17-14とリードした第4Qにベン・デビッドソンにヘルメットからヒットされ、グラウンドに横たわった。このプレーにチーフスのWRオーティス・テイラーは激怒してデビッドソンにつかみかかった。ベンチが空になる乱闘が行われた後、反則は相殺され、チーフスはパントを蹴ることとなり、残り8秒にジョージ・ブランダが同点となるFGを成功させた。この試合はレイダースが勝利し、8勝4敗2分でAFC西地区で優勝、チーフスは7勝5敗2分でプレーオフを逃した[6]。
1975年にパス3741回中2136回成功、28,711ヤード、239TD、181INT、QBレイティング82.6、ランでも1,293ヤード、9TDの成績を残して現役を引退した[2]。
1966年の現役時代からKMBC-TVのスポーツディレクターを務めている[7]。
1977年から2001年までケーブルテレビ局HBOのインサイド・ザ・NFLのホストを務めた。また1977年から1982年までNBCでAFCのアナリストを務めている[8]。
1985年からはチーフスラジオネットワークで解説者を務めている。
1987年にプロフットボール殿堂入りを果たした[2]。
2006年にNFLネットワークのドキュメンタリー、アメリカズゲーム 〜スーパーボウルチャンピオンズ〜で1969年のチーフスについてのインタビューを受けた。
第14回スーパーボウルではヴィンス・ロンバルディ・トロフィーのプレゼンターを務めた[9]。第44回スーパーボウルでもパデュー大学の後輩となるニューオーリンズ・セインツのQBドリュー・ブリーズへのヴィンス・ロンバルディ・トロフィーのプレゼンターとなった。
人物
編集脚注
編集- ^ Goldstein, Richard (2022年8月24日). “Len Dawson, Who Took Kansas City to a Championship, Dies at 87” (英語). The New York Times. ISSN 0362-4331 2022年8月25日閲覧。
- ^ a b c d e f “BIOGRAPHY”. プロフットボール殿堂. 2014年1月27日閲覧。
- ^ a b Joe Belock (2013年12月20日). “Super Bowl IV: Len Dawson gets revenge leading Kansas City Chiefs to 23-7 victory over Minnesota Vikings”. デイリーニューズ (ニューヨーク). 2014年1月27日閲覧。
- ^ John Eisenberg (2012年12月15日). “A Football Interloper’s First Gust of Success”. ニューヨーク・タイムズ. 2014年1月27日閲覧。
- ^ “Super Bowl 4: The Survival of Len Dawson”. スポーティングニュース (2008年1月15日). 2014年1月27日閲覧。
- ^ “Former Raider Ben Davidson dies”. ESPN (2012年7月3日). 2014年1月27日閲覧。
- ^ “Len Dawson”. KMBC-TV (2011年9月17日). 2014年1月27日閲覧。
- ^ a b “Len Dawson named Rozelle Award Winner”. プロフットボール殿堂 (2012年6月28日). 2014年1月27日閲覧。
- ^ “Filmography”. IMDB. 2014年1月27日閲覧。
- ^ “Len Dawson's wife dies”. Lwanrence Journal-World (1978年12月7日). 2014年1月27日閲覧。
関連項目
編集外部リンク
編集- 通算成績と情報 NFL.com, or Pro-Football-Reference
- レン・ドーソン - IMDb