レロスのペレキュデース

レロスのペレキュデース古代ギリシア語 Φερεκύδης ὁ Λέριος, Pherekýdēs ho Lerios、ペレキュデース・ホ・レリオス: 紀元前6世紀末-前5世紀[1])は、『スーダ』によれば、レーロス島出身の古代ギリシアの歴史家(historian)[2]で、"第75オリンピア紀(紀元前480年-477年)以前" に生きた[3]

レロスのペレキュデース
Φερεκύδης ὁ Λέριος
誕生 不明
死没 不明
職業 歴史家(散文史家
活動期間 紀元前480年-477年以前
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著作

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レーロスのペレキュデースは、

  1. レロスについて』(Περὶ ΛέρουPeri Lerou
  2. イーピゲネイアについて』(Περὶ ἸφιγενείαςPeri Iphigeneiās
  3. ディオニューソスの祝祭について』(Περὶ τῶν Διονύσου ἑορτῶνPeri tōn Dionysou heortōn

の三つの著作を著した[3]

『スーダ』は、彼とアテーナイのペレキュデースを別人と見なしているが、おそらく同一人物である[4][5]

関連項目

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脚注

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  1. ^ 訳注:「"第75オリンピア紀(紀元前480年-477年)以前" に生きた」ということは、23歳以前に死亡したのでない限り、紀元前6世紀から、前5世紀初が生存期間となる。
  2. ^ 訳注:英語版には記載されていないが、ここの歴史家は、「散文史家(ロゴグラポス, logographos)」のことである。『哲學研究 第四百四十九號』所収の田中美知太郎「ギリシア人と歴史」に「ロゴグラポス」の意味する内容について田中美知太郎の見解が述べられている。ヘロドトスを「歴史学者」とすれば、それ以前の「散文史家(logographos)」は「歴史学者(historian)」ではなくなる。しかし、広い意味で、散文史家も歴史家だと言える。田中美知太郎「ギリシア人と歴史」(2024年8月17日閲覧)
  3. ^ a b Fowler, p.1 n.3; 『スーダ』 Φ 217.
  4. ^ Sweeney, pp. 47–48; 『スーダΦ 216.
  5. ^ 訳注:2000年3月までは、この記事にはより詳しい記述があった。ただし、それはアテーナイのペレキュデースをレーロスの人物と同一人物という前提で書かれており、十巻の散逸した著作について言及・説明していたが、この十巻の著作は、アテーナイのペレキュデースの著作で、レーロスのペレキュデースの著作は、上掲の三つの著作である。2020年3月16日の編集で、同一人物を前提とした記述は除去された。「同一人物である」という主張には出典がついていなかった。出典として『スーダ』の頁が挙げられていたが、『スーダ』は別人として扱っているので、これは「同一人物説」の出典とは言えない。英語版では、2020年3月16日の編集において、レーロスのペレキュデースの生存時期として、出典付きで、「"第75オリンピア紀(紀元前480年-477年)以前" に生きた」という記述が入っており、この年代は、アテーナイのペレキュデースについて、出典付きで記されている、「最盛期:紀元前465年頃」と合わない。「"第75オリンピア紀以前" に生きた」というのが正しいなら、最盛期が紀元前465年頃にはならない。その頃にはすでに死亡していることになる。ここから、別人説が導かれるが、同一人物説も、可能性として否定できないのだと思える。「スーダ」と Fowler は別人だと述べているようだが、Sweeney は「おそらく同一人物」だと述べている。

参考文献

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  • Fowler, Robert L., "The Authors named Pherecydes", Mnemosyne, Fourth Series, Vol. 52, Fasc. 1 (Feb., 1999), pp.1-15. JSTOR 4432925.
  • Mac Sweeney, Naoise, Community Identity and Archaeology: Dynamic Communities at Aphrodisias and Beycesultan, University of Michigan Press, 2011. ISBN 9780472117864.