レスリー・ゴーア
レスリー・ゴーア(Lesley Gore、1946年5月2日 - 2015年2月16日[2])は、アメリカ合衆国の女性歌手、シンガーソングライター。弟は作曲家のマイケル・ゴア。
レスリー・ゴーア | |
---|---|
基本情報 | |
生誕 | 1946年5月2日 |
出身地 | アメリカ合衆国ニューヨーク州[1] |
死没 | 2015年2月16日(68歳没) |
ジャンル | ポップス |
職業 | 歌手、シンガーソングライター |
活動期間 | 1963年 – 2014年 |
共同作業者 | クインシー・ジョーンズ |
経歴
編集ニューヨーク市ブルックリンに生まれる。ユダヤ系。出生時の名前は、Lesley Sue Goldstein。ニュージャージー州テナフライで育つ[1][3]。
1963年4月、マーキュリー・レコードのクインシー・ジョーンズに見出され歌手デビュー。「涙のバースデイ・パーティ」が全米1位を記録。2枚目のシングル「涙のジュディ(Judy's Turn to Cry)」が全米5位を記録。他に「ジャスト・レット・ミー・クライ(泣かせておいて)」等。
1964年、「恋と涙の17才」が全米2位を記録。
1972年、シンガーソングライターに転向し、全曲自作曲のアルバム「Someplace Else Now」を発売。
2004年、LGBT問題に焦点を当てたPBSのテレビシリーズ「In the Life」にゲストホストとして出演、翌2005年のインタビューで自身もレズビアンであり、長年のパートナーが存在することを公表する[4]。
2015年2月16日、肺がんによりニューヨークのコロンビア長老派教会医療センターで死去[1]。
出典
編集- ^ a b c Lesley Gore, Teenage Voice of Heartbreak, Dies at 68 New York Times 2015年2月16日(英語)
- ^ 米歌手L・ゴーアが死去、「涙のバースデイ・パーティ」がヒット ロイター 2015年2月17日
- ^ Laing, Dave (February 17, 2015). “Lesley Gore obituary”. The Guardian June 27, 2018閲覧。 "Daughter of Ronny and Leo, she was born Lesley Sue Goldstein into a middle-class Jewish family in New York City and grew up in Tenafly, New Jersey."
- ^ Interview with Lesley Gore afterellen 2005年6月3日(英語)