ルディ・グーテンドルフ
ルディ・グーテンドルフ(ドイツ語: Rudi Gutendorf, 1926年8月30日 - 2019年9月13日)は、ドイツ・コブレンツ出身のサッカー選手、サッカー監督。選手時代のポジションはフォワード。
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ルディ・グーテンドルフ(2005年) | ||||||
名前 | ||||||
本名 |
ルドルフ・グーテンドルフ Rudolf Gutendorf | |||||
カタカナ | Rudi Gutendorf | |||||
基本情報 | ||||||
生年月日 |
1926年8月30日 ドイツ国, コブレンツ | |||||
没年月日 |
2019年9月13日(93歳没) ドイツ | |||||
選手情報 | ||||||
ポジション | FW | |||||
クラブ1 | ||||||
年 | クラブ | 出場 | (得点) | |||
1944-1953 | TuSノイエンドルフ | |||||
監督歴 | ||||||
#指導者歴参照 | ||||||
1. 国内リーグ戦に限る。 ■テンプレート(■ノート ■解説)■サッカー選手pj |
経歴
編集現役時代はTuSノイエンドルフに在籍し、右ウイングとしてプレーした[1]。
現役引退後はゼップ・ヘルベルガーから指導を受けてサッカー指導者に転身[2]。ドイツ国内を中心に各国のクラブ・代表チームで監督を歴任。マイデリッヒャーSV監督時代には守備的戦術をチームに導入して創設1年目の1963-64シーズンのブンデスリーガで2位に入り[1]、シャルケ04監督時代の1969-70シーズンにはUEFAカップウィナーズカップでベスト4に導いた[1]。
1984年、日本サッカーリーグ (JSL) 1部の読売サッカークラブ(現在の東京ヴェルディ1969)の監督に就任した[3]。与那城ジョージを筆頭に南米路線を採っていたクラブに、ユーゴスラビアのヴィエラン・シムニッチやスコットランドのスティーブン・パターソンといった当時のJSLでは珍しいヨーロッパ出身の選手を加入させ、組織戦術や規律の導入を試みた[3]。1984年シーズンにJSL・天皇杯の二冠を獲得[3]。翌1985年シーズンにJSLカップ優勝を成し遂げたが、リーグ戦では不振が続き、1986年1月にクラブを去った[3]。
2003年までにネパール代表、トンガ代表、ルワンダ代表など5大陸の代表チームを指導するなど、32か国55チームの監督を務めており、ギネス世界記録に登録されている[1]。
2016年10月、ドイツ国内の難民を対象にしたチーム「TuSインターナショナル」の監督に就任した[4]。
2019年9月13日に死去したと報じられた[5]。
指導者歴
編集特記ないものはいずれもチーム監督。
01. | 1946 - 1954 | SVレングスドルフ |
02. | 1954 | ロートヴァイス・コブレンツ |
03. | 1954 | VfBリュッツェル |
04. | 1954 | SVブラウバッハ |
05. | 1954 | TuSノイエンドルフ |
06. | 1955 | FCブルースターズ・チューリッヒ |
07. | 1955 - 1960 | FCルツェルン |
08. | 1961 | USモナスティル |
09. | 1962 - 1963 | TSVマール・ヒュルス |
10. | 1963 - 1964 | マイデリッヒャーSV |
11. | 1965 | VfBシュトゥットガルト |
12. | 1966 - 1968 | セントルイス・スターズ |
13. | 1968 | バミューダ諸島代表 |
14. | 1968 - 1970 | シャルケ04 |
15. | 1970 - 1971 | キッカーズ・オッフェンバッハ |
16. | 1972 | スポルティング・クリスタル |
17. | 1972 | チリ代表 |
18. | 1974 | TSV1860ミュンヘン |
19. | 1974 | 室内サッカーワールドカップ・マネージングダイレクター |
20. | 1974 | ボリビア代表 |
21. | 1974 | FCボリビア |
22. | 1974 | ベネズエラ代表 |
23. | 1975 | レアル・バリャドリード |
24. | 1975 - 1976 | SCフォルトゥナ・ケルン |
25. | 1976 | トリニダード・トバゴ代表 |
26. | 1976 | グレナダ代表 |
27. | 1976 | アンティグア・バーブーダ代表 |
28. | 1976 | ボツワナ代表 |
29. | 1976 - 1977 | TBベルリン |
30. | 1977 | ハンブルガーSV |
31. | 1978 | オーストラリア代表 |
32. | 1980 | フィリピンでの国際サッカー連盟任命サッカー講師 |
33. | 1980 | ニューカレドニア代表 |
34. | 1981 | フィジーサッカー指導者育成責任者 |
35. | 1981 | ネパール代表 |
36. | 1981 | トンガ代表 |
37. | 1981 | タンザニア代表 |
38. | 1981 - 1982 | ヤンガ・ダルエスサラーム |
39. | 1982 | タンザニア・アリーシャでのサッカー指導者育成責任者 |
40. | 1982 - 1984 | 読売サッカークラブ |
41. | 1984 | ヘルタ・ベルリン |
42. | 1984 | サントメ・プリンシペ代表 |
43. | 1985 | ガーナ代表 |
44. | 1985 | ネパール代表 |
45. | 1986 | ネパールでのサッカー指導者育成責任者 |
46. | 1987 | フィジーでのサッカー指導者育成責任者 |
47. | 1987 | フィジー代表 |
48. | 1988 | 中国でのサッカー指導者育成責任者 |
49. | 1988 | イランオリンピック代表 |
50. | 1991 - 1992 | 中国オリンピック代表 |
51 | 1995 - 1996 | ジンバブエ代表 |
52. | 1997 | モーリシャス代表 |
53. | 1998 | TuSコブレンツスポーツディレクター |
54. | 1999 | ルワンダ代表 |
55. | 2003 | サモア代表 |
56. | 2016-2019 | TuSインターナショナル |
脚注
編集- ^ a b c d “"Riegel-Rudi" Gutendorf wird 90”. DFB - Deutscher Fußball-Bund e.V. (2016年8月30日). 2017年11月24日閲覧。
- ^ “Der älteste Coach der Welt - Rudi Gutendorf (90) trainiert jetzt Flüchtlinge”. Bild.de (2016年10月10日). 2017年11月24日閲覧。
- ^ a b c d 読売サッカークラブ〜東京ヴェルディ40周年記念誌発行委員会『クラブサッカーの始祖鳥 読売クラブ〜ヴェルディの40年』東京ヴェルディ1969フットボールクラブ株式会社、2010年、39-40頁。
- ^ “TuS International”. TuS Koblenz (2016年10月8日). 2017年11月24日閲覧。
- ^ “ギネス記録55チーム指揮の伝説的監督が93歳で死去。読売クラブでも国内2冠”. フットボールチャンネル. (2019年9月15日) 2021年9月2日閲覧。
外部リンク
編集- ルディ・グーテンドルフ - FootballDatabase.eu
- ルディ・グーテンドルフ - WorldFootball.net
- ルディ・グーテンドルフ - Transfermarkt.comによる選手データ
- ルディ・グーテンドルフ - Transfermarkt.comによる指導者データ
- ルディ・グーテンドルフ - Munzinger Sports Archives
- 公式ウェブサイト