ルジェーロ・リッツィテッリ
ルジェーロ・リッツィテッリ(Ruggiero Rizzitelli, 1967年9月2日 - )は、イタリア・マルゲリータ・ディ・サヴォイア出身の元サッカー選手。ASローマ、バイエルン・ミュンヘンでプレー、イタリア代表として9試合でプレーした。現役時代のポジションはFW、攻撃的MF 。
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名前 | ||||||
ラテン文字 | Ruggiero Rizzitelli | |||||
基本情報 | ||||||
国籍 | イタリア | |||||
生年月日 | 1967年9月2日(57歳) | |||||
出身地 | マルゲリータ・ディ・サヴォイア | |||||
選手情報 | ||||||
ポジション | FW、MF | |||||
■テンプレート(■ノート ■解説)■サッカー選手pj |
経歴
編集チェゼーナ所属時の1988年にイタリア代表デビューし、1988年度のUEFA欧州選手権に参加するなど1992年3月までの間召集され、9試合に出場2得点を挙げた[1]。その他1988年のソウル五輪にも参加した[2]。
1988-94年までの期間ASローマでプレー、ゴール数は多くはなかったが、ウイングのポジションでルディ・フェラーのアシスト役として活躍した[3]。1990-91年度シーズンのコッパ・イタリアではフェラーと並んで大会得点王になる活躍で[4]優勝、UEFAカップでも決勝進出を果たした。
1994-95年度シーズンにACトリノに移籍。初年度はユヴェントスFCとのトリノダービーでホームゲーム、アウェイゲーム共に2ゴールずつを挙げて勝利に導くなど[3]、19ゴールを挙げ、得点ランキングで第3位となる活躍も代表復帰には至らなかった。翌1995-96年度シーズンも二桁ゴールを挙げるなどキャプテンとして活躍したが[3]、チームはセリエB降格となった[5]。
1996-97年度シーズン、トリノでの活躍から[3]、同胞のジョヴァンニ・トラパットーニ監督がFCバイエルン・ミュンヘンに引き抜き[5]、バイエルンでプレーした初のイタリア人プレーヤーとなった[5]。開幕戦でもゴールを奪い[5]、1シーズン目はほぼレギュラーとしてプレー、25試合7ゴール7アシストの活躍で[6]、リーグ優勝を果たした。翌シーズンもポカールのタイトルを獲得するも先発出場の機会を減らし[5]、祖国のピアチェンツァ・カルチョに移籍した[5]。
タイトル
編集- ASローマ
- コッパ・イタリア:1990-91
- バイエルン・ミュンヘン
- ブンデスリーガ : 1996-97
- ポカール : 1997-98
- DFLリーガポカール : 1997
- 個人
- コッパ・イタリア得点王 1990-91 (4ゴール)
脚注
編集- ^ “Ruggiero Rizzitelli”. ワールドフットボールネット. 2022年2月14日閲覧。
- ^ “Ruggiero Rizzitelli”. オリンピックコム. 2022年2月14日閲覧。
- ^ a b c d “Ruggiero Rizzitelli: The Torino Captain who lost it all” (英語). ジェントルマンウルトラ (2016年12月8日). 2022年2月14日閲覧。
- ^ “Coppa Italia Top scorers”. RSSF. 2022年2月21日閲覧。
- ^ a b c d e f “Goal, polemiche, il Trap e i trofei: Rizzitelli e il Bayern Monaco, 'odi et amo” (イタリア語). ゴールコム (2021年9月2日). 2022年2月14日閲覧。
- ^ “Ruggiero Rizzite” (ドイツ語). キッカー. 2022年2月14日閲覧。