ルキウス・アウトロニウス・パエトゥス
共和政ローマの政治家・軍人
ルキウス・アウトロニウス・パエトゥス(Lucius Autronius Paetu)はプレブス(平民)出身の共和政ローマの政治家・軍人。紀元前33年に補助執政官(コンスル・スフェクトゥス)を務めた。
ルキウス・アウトロニウス・パエトゥス L. Autronius P. f. L. n. Paetus | |
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出生 | 不明 |
死没 | 不明 |
出身階級 | プレブス |
氏族 | アウトロニウス氏族 |
官職 |
補充執政官(紀元前33年) 前執政官(紀元前29年-28年) |
担当属州 | アフリカ属州(紀元前29年-28年) |
経歴
編集ルキウスの父は紀元前65年の執政官選挙に当選したものの、選挙違反で有罪となり執政官に就任できなかったプブリウス・アウトロニウス・パエトゥス(en)である。
ルキウス自身はオクタウィアヌスの支持者であった。紀元前33年にオクタウィアヌスは二度目の執政官に就任するが、その任期初日である1月1日に辞職してルキウスを補充執政官に任じた[1]。ルキウスも同年半ばには後任に職を譲っている。
紀元前29年から紀元前28年にかけては、ルキウスは前執政官(プロコンスル)として、アフリカ属州の総督を務めた[2]。この期間中インペリウム(軍事指揮権)を有して軍を率いており、ローマに戻った紀元前28年8月16日には凱旋式を実施している[3]。
脚注
編集参考資料
編集- Broughton, T. Robert S., The Magistrates of the Roman Republic, Vol II (1952)
- Broughton, T. Robert S., The Magistrates of the Roman Republic, Vol III (1986)
- Syme, Ronald, "The Augustan Aristocracy" (1986). Clarendon Press. Retrieved 2012-09-30
関連項目
編集公職 | ||
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先代 マルクス・アントニウス II ルキウス・スクリボニウス・リボ 補充: ルキウス・センプロニウス・アトラティヌス パウッルス・アエミリウス・レピドゥス ガイウス・メンミウス マルクス・ヘレンニウス・ピケンス |
補充執政官(途中離職) 紀元前33年 正規執政官: アウグストゥス II(途中離職) ルキウス・ウォルカキウス・トゥッルス(途中離職) 補充執政官: ルキウス・フラウィウス(途中離職) ガイウス・フォンテイウス・カピト(途中離職) マルクス・アキリウス・グラブリオ(途中離職) ルキウス・ウィニキウス クィントゥス・ラロニウス |
次代 グナエウス・ドミティウス・アヘノバルブス ガイウス・ソシウス 補充: ルキウス・コルネリウス・キンナ マルクス・ウァレリウス・メッサッラ |