ルイーゼ・フォン・プロイセン (1770-1836)
ルイーゼ・フォン・プロイセン (ドイツ語: Friederike Luise Dorothea Philippine von Preußen、ポーランド語: Fryderykę Dorotę Ludwikę Hohenzollern、1770年3月24日 - 1836年12月7日)は、プロイセンの王族。プロイセン王子フェルディナント(フリードリヒ2世の実弟)と、その妻でブランデンブルク=シュヴェート辺境伯フリードリヒ・ヴィルヘルムの娘であるアンナ・エリーザベト・ルイーゼの間の次女として、フリードリヒスフェルデ(現ベルリン)で生まれた。
ルイーゼ・フォン・プロイセン Luise von Preußen | |
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プロイセン王女ルイーゼ、ヴィジェ=ルブラン画 | |
出生 |
1770年3月24日 プロイセン王国、ベルリン |
死去 |
1836年12月7日(66歳没) プロイセン王国、ベルリン |
配偶者 | アントニ・ヘンリク・ラジヴィウ |
子女 |
ヴィルヘルム フェルディナント ボグスワフ ヴワディスワフ エリザ ヴァンダ |
家名 | ホーエンツォレルン家 |
父親 | プロイセン王子フェルディナント |
母親 | アンナ・エリーザベト・ルイーゼ・フォン・ブランデンブルク=シュヴェート |
1796年、ポーランド=リトアニアの上級貴族アントニ・ヘンリク・ラジヴィウ公と結婚、8子をもうけた。次女のエリザは、プロイセン王子ヴィルヘルム(のちの皇帝ヴィルヘルム1世)が妻にと望んだ女性であった。また、長男のヴィルヘルムと三男のボグスワフもプロイセンに軍人、政治家として仕えた。