ルイ・ド・サヴォワ (ジュネーヴ伯)
キプロス王、ジュネーヴ伯
ルイ・ド・サヴォワ(Louis de Savoie, 1436年6月5日 - 1482年8月)は、仏伊国境の諸侯サヴォイア家の公子。ジュネーヴ伯。キプロス女王シャルロットとの結婚により、その共同統治者としてキプロス王(在位:1459年 - 1464年)の称号を得た。イタリア語名はルドヴィーコ・ディ・サヴォイア(Ludovico di Savoia)。
ルイ・ド・サヴォワ Louis de Savoie | |
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キプロス王 | |
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在位 | 1459年 - 1464年 |
別号 | ジュネーヴ伯 |
出生 |
1436年6月5日 ジュネーヴ |
死去 |
1482年8月 トノン=レ=バン、リパイユ城 |
配偶者 | キプロス女王シャルロット |
子女 | ユーグ |
家名 | サヴォワ家 |
父親 | サヴォイア公ルドヴィーコ |
母親 | アンヌ・ド・リュジニャン |
生涯
編集サヴォイア公ルドヴィーコとその妻でキプロス王ジャニュの娘であるアンヌ・ド・リュジニャンの間の次男として生まれた。公爵家の家督は兄アメデーオ9世が継ぐと決まっており、分封領としてジュネーヴ伯爵領を授けられた。1447年12月14日、スターリング城においてスコットランド王ジェームズ1世の娘アナベラと結婚したが、やがて別居、1458年に婚姻を解消した[1]。
翌1459年10月4日、母方の従妹にあたるキプロス女王シャルロットと結婚し、その共治王となる。同時に、名目上のエルサレム王、キリキア・アルメニア王の称号も帯びた。しかし夫妻の王位はシャルロットの庶出の兄で、マムルーク朝のスルタンと結んだニコシア大司教ジャック・ド・リュジニャンの挑戦を受け、1464年に王位を追われてローマに逃れた。
ルイとシャルロットの間には1464年6月にユーグという名の王子が生まれたが、誕生後1か月以内に死去している。ルイは1482年、トノン=レ=バン郊外のリパイユ城で没した。