リンス (ブラジル)
ブラジルの都市
リンス(Lins)はブラジル・サンパウロ州中西部にある都市である。市民の呼称は「リネンセ(linense)」である。
リンス Lins | |||||
---|---|---|---|---|---|
リンス市中心部の景観 | |||||
| |||||
愛称 : "Princesa da Noroeste"(北西のプリンセス) "Cidade das Escolas"(学園都市) | |||||
位置 | |||||
座標 : 南緯21度40分43秒 西経49度44分33秒 / 南緯21.67861度 西経49.74250度 | |||||
歴史 | |||||
建設 | 1920年4月21日 | ||||
旧名 | サントアントニオ・ド・カンペストレ(Santo Antônio do Campestre) | ||||
行政 | |||||
国 | ブラジル | ||||
地域 | 南東部 | ||||
州 | サンパウロ州 | ||||
市 | リンス | ||||
地理 | |||||
面積 | |||||
市域 | 570 km2 | ||||
標高 | 437 m | ||||
人口 | |||||
人口 | (2020年現在) | ||||
市域 | 78,503人 | ||||
備考 | 統計[1] | ||||
公式ウェブサイト : Prefeitura Lins |
歴史
編集20世紀初頭、カンペストレ川とサントアントニオチャペル(Capela de Santo Antônio)にちなみ、集落はサントアントニオ・ド・カンペストレと呼ばれていた。1908年、この地にノロエステ鉄道(pt:Estrada de Ferro Noroeste do Brasil)が開通し、それに伴ない地名を当時のサンパウロ州統領アルブケルケ・リンス(Albuquerque Lins)と同じリンスと改名した。[2]
1913年、リンスはバウル市の行政区画に昇格する。1919年、リンス小教区が設置される。翌20年4月21日、市として独立する。[2]
リンス管内に日本移民が初めて入植したのは1916年、バルボーザ植民地においてとされている[3]。1929年には15年間ブラジルで暮らした元外交官の多羅間鉄輔がリンスに入植し、珈琲園の経営に当たった[4]。
1951年に、明治天皇の孫・俊彦(東久邇宮稔彦王四男)が皇室離脱してブラジルに移民し、多羅間鉄輔未亡人のキヌの養子となり、多羅間俊彦としてリンスの農園を引き継いだことにより、大谷光暢夫妻、三笠宮崇仁親王夫妻、三島由紀夫など日本から多くの著名人がリンスを訪問した[5]。
出身者
編集- ジョゼ・アントニオ・マルチンス・ガウボン - サッカー選手