リベロ・リベラーティ
(リベロ・リベラッティから転送)
リベロ・リベラーティ(Libero Liberati, 1926年9月20日 - 1962年3月25日)はイタリアのオートバイレーサー。ロードレース世界選手権で活躍し、500ccクラスの世界チャンピオンとなったライダーである。リベロ・リベラッティと表記されることもある。
リベロ・リベラーティ | |
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グランプリでの経歴 | |
国籍 | イタリア |
活動期間 | 1953, 1955 - 1957, 1959 |
チーム | ジレラ、モリーニ |
レース数 | 15 |
チャンピオン | 500cc - 1957 |
優勝回数 | 6 |
表彰台回数 | 14 |
通算獲得ポイント | 81 |
ポールポジション回数 | N/A |
ファステストラップ回数 | N/A |
初グランプリ | 1953 500cc イタリア |
初勝利 | 1956 350cc イタリア |
最終勝利 | 1957 500cc イタリア |
最終グランプリ | 1959 250cc 西ドイツ |
経歴
編集テルニで生れたリベラーティは、1948年には国内チャンピオンとなってイタリアで名を知られるようになった。2年後の1951年、モト・グッツィからのオファーでロードレース世界選手権の500ccクラスを1レース走った後、その年の残りのレースからはジレラで走った。
1953年、リベラーティは世界選手権で初めてポイントを獲得する。そして1956年には350ccクラスでグランプリ初勝利を記録したリベラーティは1957年、4勝を挙げて500ccクラスチャンピオンとなった。この年には350ccクラスでも1勝を挙げ、ランキング2位となっている。
ところがタイトルを獲ったこの年の終わりに、ジレラはワークス活動を撤退することを発表する。マシンを失ったリベラーティは2年後、モト・モリーニのマシンで250ccクラスに復帰するが、再び勝利を挙げることはできなかった。
1962年、故郷の近くの公道でテスト中に濡れた鉄道の線路に足を取られてクラッシュ、致命傷を負って帰らぬ人となった[1]。
- 凡例
- イタリック体のレースはファステストラップを記録。
年 | クラス | マシン | 1 | 2 | 3 | 4 | 5 | 6 | 7 | 8 | 9 | ポイント | 順位 | 勝利数 |
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1953 | 500cc | ジレラ | IOM - |
NED - |
BEL - |
GER - |
FRA - |
ULS - |
SUI - |
ITA 3 |
SPA - |
4 | 12位 | 0 |
1955 | 500cc | ジレラ | SPA - |
FRA 2 |
IOM - |
GER - |
BEL - |
NED - |
ULS - |
ITA - |
6 | 7位 | 0 | |
1956 | 350cc | ジレラ | IOM - |
NED - |
BEL - |
GER - |
ULS - |
ITA 1 |
8 | 7位 | 1 | |||
500cc | ジレラ | IOM - |
NED - |
BEL - |
GER - |
ULS - |
ITA 2 |
6 | 8位 | 0 | ||||
1957 | 350cc | ジレラ | GER 1 |
IOM - |
NED 3 |
BEL 2 |
ULS 3 |
ITA 3 |
22 | 2位 | 1 | |||
500cc | ジレラ | GER 1 |
IOM - |
NED 2 |
BEL 1 |
ULS 1 |
ITA 1 |
32 | 1位 | 4 | ||||
1959 | 250cc | モト・モリーニ | IOM - |
GER 4 |
NED - |
BEL - |
SWE - |
ULS - |
ITA - |
3 | 12位 | 0 |
脚注
編集- ^ マイケル・スコット『The 500cc World Champions』(ウィック・ビジュアル・ビューロウ)ISBN 978-4-900843-53-0 p41 - p43
- ^ Libero Liberati The Official MotoGP Website
関連項目
編集- スタディオ・リベロ・リベラティ - テルニにある多目的スタジアム