リベッチオ (駆逐艦)
駆逐艦
リベッチオ (Libeccio) は、イタリア海軍の駆逐艦。マエストラーレ級。
リベッチオ | |
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トリエステにおいて | |
基本情報 | |
建造所 | リヴァ・トリゴソ造船所 |
運用者 | イタリア王立海軍 |
艦歴 | |
起工 | 1931年9月29日 |
進水 | 1934年7月4日 |
就役 | 1934年11月23日 |
最期 | 1941年11月9日、潜水艦の雷撃により沈没 |
要目 | |
基準排水量 | 1,615トン |
全長 | 106.7メートル |
最大幅 | 10.15メートル |
吃水 | 3.31メートル |
ボイラー | ヤーロー式重油専焼水管缶3基 |
主機 | パーソンズ式ギアードタービン2基2軸、44,000馬力 |
最大速力 | 38ノット |
航続距離 | 12ノット/4,000海里 |
乗員 | 兵員183人 |
兵装 |
新造時: OTO1931年式50口径12センチ砲:連装2基 ヴィッカース・テルニ1917年式39口径40ミリ砲:2基 ブレダ モデル3113.2mm機銃:4基 53.3cm三連装魚雷発射管:2基 |
艦歴
編集セストリ・レヴァンテのティレノ・エ・リウニーティ造船リヴァ・トリゴソ造船所で1931年9月29日に起工。1934年7月4日に進水。同年11月23日に就役した。
1940年7月、北アフリカ行きの船団の護衛として出撃。9日、護衛艦隊とイギリス海軍との間でカラブリア沖海戦が発生したが、「リベッチオ」は戦闘には参加しなかった。
11月11日、イギリス軍空母艦載機によるタラント軍港攻撃が行われ、イタリア海軍の戦艦3隻が大損害を受けた。この攻撃の際、「リベッチオ」にも爆弾が命中したが不発だった。
1941年11月8日、「リベッチオ」を含む6隻の駆逐艦に護衛されたイタリアの船団はイギリス海軍の攻撃を受けた。船団は全滅し、護衛の駆逐艦も1隻が沈められた(デュースブルク船団の戦い)。「リベッチオ」は無傷だったが、翌朝生存者の救助中にイギリス潜水艦「アプホルダー」に雷撃され沈没した。
参考文献
編集外部リンク
編集- ウィキメディア・コモンズには、リベッチオに関するカテゴリがあります。
- Ivan, Gogin. “MAESTRALE destroyers (1934)”. NAVYPEDIA. 2019年2月18日閲覧。