リック・オケイセック

アメリカ合衆国のミュージシャン

リック・オケイセック (Ric Ocasek [ˈkæsɛk]1944年3月23日 - 2019年9月15日[2]) は、アメリカのミュージシャン、音楽プロデューサー。ロック・バンド、カーズのリード・ボーカリストとして、ベンジャミン・オールと共に知られており、リズムギターと作曲を担当している。

リック・オケイセック
Ric Ocasek
リック・オケイセック(2009年)
基本情報
出生名 Richard Theodore Otcasek
生誕 (1944-03-23) 1944年3月23日
アメリカ合衆国の旗 アメリカ合衆国 メリーランド州ボルチモア
死没 (2019-09-15) 2019年9月15日(75歳没)
アメリカ合衆国の旗 アメリカ合衆国 ニューヨーク州ニューヨーク
ジャンル ロックニュー・ウェイヴ
職業 ミュージシャン、歌手、ソングライター、音楽プロデューサー
担当楽器 ボーカル、ギター
活動期間 1973年 - 2019年
共同作業者 カーズ
公式サイト www.ricocasek.com
著名使用楽器
1970年代中期: フェンダー・ジャズマスター[1]

メリーランド州ボルチモア生まれ[3]。16歳の時、NASAのコンピュータアナリストだった父に連れられ、オハイオ州クリーブランドに移転。ここで、WEWS-TVという人気ローカルバンドのメンバーとして活動していたベンジャミン・オールに初めて出会う。リックは彼の演奏が気に入り、連絡を取るようになった[4]。リックは少しの間、トレドにあるボーリング・グリーン州立大学に通ったが[5][6]、音楽活動を続けるために中退する[7]コロンバスでベンジャミンと再会し、2人でバンド活動を始め、オハイオ州立大学周辺で演奏するようになる[8]。1989年には、3番目の妻でモデルのポーリーナ・ポリツィコヴァと結婚[9]。ポーリーナとの間の2人の息子を含め、3人の妻との間に6児を儲けた[10]2019年9月15日ニューヨークマンハッタン東19番街の自宅アパートで亡くなっているのを発見された[11]

結成前

編集

1970年代初頭に、クロスビー、スティルス、ナッシュ&ヤングに影響を受けたリックは、友人のベン・オルゼチョフスキー(ベンジャミン・オール)とフォークバンド「ミルクウッド」を結成した[12]。バンドは1973年に『How's the Weather』というアルバムをパラマウント・レコードからリリース。アルバムは成功せず、リリース後すぐに発売中止となり、バンドも解散してしまった。ベンジャミンとリックは、「リチャード・アンド・ザ・ラビッツ」(名前はジョナサン・リッチマンに提案された)という新しいバンドを結成[13]。1974年には、ボストン・グラウンド・ラウンド・レストランでデュオとして演奏したが、ある夜、会社の副社長が「家族に優しい環境」ではないと言い、彼らは解雇された。

カーズ

編集

リックは、後に「カーズ」と改名することとなるニュー・ウェイヴバンド「キャプテン・スウィング」の創立メンバーとなってから急激に成功し、1978年から1988年にかけて数々のヒットソングを世に出した。彼はリズムギターを演奏し、ほとんどの曲のリード・ボーカルもとっている(残りの曲は、ベーシストのベンジャミン・オールが担当)。1970年代にベンジャミンと激しい作曲権争いがあったが、その後はバンドのソングライターともなっており、カーズのほとんどの曲は彼の名前がクレジットされているが、バンドメイトであるグレッグ・ホークスとの共作も数曲存在する。2010年、リックは、死去したベンジャミンを除く残りのオリジナル・メンバーと再会し、24年ぶりのスタジオ・アルバム『ムーヴ・ライク・ディス』のリリースを2011年5月10日に果たしている。

ソロ活動

編集

1982年には、初のソロ・アルバムをリリースした。『ビーティチュード』は、カーズのニュー・ウェイヴ・ロックサウンドをさらに実験的にしたものとなっている。シンセサイザーがさらに重厚になった『ディス・サイド・オブ・パラダイス』は、1986年にリリース。15位を記録したヒット・シングル「エモーション・イン・モーション」は、このアルバムに収録されている。

カーズは1988年に解散し、リックは数年間、表舞台から退いた。復帰したのは1990年のソロ・アルバム『ファイヤーボール・ゾーン』であり、「ロッカウェイ」は少しの間チャートインしたが、カーズ時代の成功と比べるとアルバムのセールスは優れなかった。その後10年間、1993年には『クイック・チェンジ・ワールド』、1996年には『Getchertikitz』(スーサイドのアラン・ベガとの共作、実験音楽)、1997年の『トラブライジング』(ビリー・コーガンがプロデュース、カーズ解散後初となる短いツアーも敢行した)と、他にもソロ作品をリリースしている。2005年、リックは『ネクスタデイ』をリリースし、少し派手なサウンドを聴くことができ、レビューでも高評価を受けた。

作曲

編集

カーズ在籍時、リックは音楽プロデューサーとしても活動し、成功していた。様々なジャンルにおいて、多くの将来有望なバンドをプロデュースした。このなかには、バッド・ブレインズの『ロック・フォー・ライト』やガイデッド・バイ・ヴォイシズの『ドゥ・ザ・コラップス』が含まれ、その他にも、ウィーザーの『ブルー・アルバム』、『グリーン・アルバム』、スーサイドロメオ・ヴォイドホールベベ・ビュエルノー・ダウトナダ・サーフブラック47バッド・レリジョンジョニー・ブラボーDジェネレーションウァナディーズポッサム・ディクソンマーティン・レヴジョナサン・リッチマンピンク・スパイダーズなどにもクレジットされている。また、モーション・シティ・サウンドトラックのサードアルバム『イーヴン・ イフ・イット・キルズ・ミー』のプロデュースにも参加しており、2014年には、ウィーザーの9枚目のアルバム『エヴリシング・ウィル・ビー・オールライト・イン・ジ・エンド』(ウィーザーとの活動は3作目)やザ・クリブスの『フォー・オール・マイ・シスターズ』を手がけている[14]

私生活

編集

リックは3回の結婚をしている。彼は若いうちに最初の結婚を果たしたが、やがて離婚し、2番目の妻であるスザンヌ・オケイセックと1972年に再婚した[15]。しかし、スザンヌとまだ婚姻関係にあるとき、カーズの曲「ドライヴ」のミュージックビデオ(プロデュースはティモシー・ハットン)に出演したモデルのポーリーナ・ポリツィコヴァと出会った。当時、ポーリーナの年齢は19歳、リックは35歳(本当の年齢は40歳だったが、メジャーデビュー時から5歳年齢を詐称していた)であった。

出会ってから5年後の1989年、リックはポーリーナと結婚した。ポーリーナは最初の結婚であったが、リックにとってはこれで3度目となる。

彼は3人の妻との間にそれぞれ2人ずつ、6人の息子を儲けた。息子の1人、クリストファー・オケイセックは、ロックグープ、グラムール・キャンプを結成した。1970年にはアダム、1973年にはイーロン、1982年にはデレクがそれぞれ生まれた[15]

リックと共にカーズを結成したベンジャミン・オールは親友として知られている。2000年のベンジャミンの死を受けて、彼を追悼する曲(『ネクスタデイ』収録の「Silver」)を書いている。

ディスコグラフィ

編集

ソロ・アルバム

編集
  • 『ビーティチュード』 - Beatitude(1982年)
  • 『ディス・サイド・オブ・パラダイス』 - This Side of Paradise(1986年)
  • 『ファイアボール・ゾーン』 - Fireball Zone(1991年)
  • 『クイック・チェンジ・ワールド』 - Quick Change World(1993年)
  • Negative Theater(1993年)
  • 『トラブライジング』 - Troublizing(1997年)
  • 『ネクスタデイ』 - Nexterday(2005年)

スポークン・ワード・アルバム

編集
  • Getchertiktz(1996年)※with アラン・ベガ、ジリアン・マッケイン

カーズ

編集

シングル

編集
オーストラリア カナダ US Hot 100 US MSR US A.C. USダンス アルバム
1983 Something to Grab For - - 47 5 - - Beatitude
Jimmy Jimmy - - - 25 - 60
Connect Up to Me - - - - - 37
1986 Emotion in Motion 8 18 15 1 8 - This Side of Paradise
True to You 100 - 75 9 - -
1991 Rockaway - 46 - 11 - - Fireball Zone

ゲスト参加曲

編集
アルバム 備考
1991 Zip-A-Dee-Doo-Dah Simply Mad About the Mouse
1991 Fly by Night Moment of Truth アルバム収録の1曲を作曲

出典

編集
  1. ^ Musician, Player and Listener, vol. 39. Amordian Press, January 1982 [1] His favorite guitar is an eight-year old Fender Jazzmaster, painted pink. "I used it on this record a lot, and I use it on every record, all the time,"
  2. ^ “ザ・カーズのリック・オケイセックが死去”. amass. (2019年9月16日). http://amass.jp/125639/ 2019年9月16日閲覧。 
  3. ^ David Fricke. "Workaholic Ric Ocasek Freaks Out at Vacationtime." Omaha (NE) World-Herald, March 21, 1982, p. E8.
  4. ^ Jane Scott. "In the Driver's Seat." Cleveland Plain Dealer, November 14, 1986, Friday Magazine, p. 42.
  5. ^ New, The. “Ric Ocasek”. New York Times. March 8, 2011閲覧。
  6. ^ Vincentelli, Elisabeth (October 17, 2004). "Just What They Needed?", New York Times
  7. ^ Susan Ladd. "Leader of the Cars Knows How to Crank Out Video Hits." Greensboro (NC) News & Record, July 13, 1984, p. B1.
  8. ^ Jane Scott. "Cars Are Roaring Back." Cleveland Plain Dealer, August 7, 1984, p. 5C.
  9. ^ Laura C. Smith. "My husband the Car." Entertainment Weekly, August 18, 1995, p. 68.
  10. ^ David Fricke. "The Return of the Cars." Rolling Stone, June 9, 2011, pp. 50–53.
  11. ^ Ric Ocasek, Lead Singer of The Cars, Dead in New York at 75”. NBC New York. September 16, 2019閲覧。
  12. ^ Scott, Jane. "Cars Are Roaring Back" The Plain Dealer August 7, 1984: 5C.
  13. ^ https://www.linkedin.com/in/greghawkes
  14. ^ https://www.nme.com/news/the-cribs/78894/?recache=62&utm_source=twitter&utm_medium=social&utm_campaign=thecribs
  15. ^ a b Goldstein, Toby (1985). Frozen Fire: The Story of the Cars. Chicago: Contemporary Books. p. 14. ISBN 0-8092-5257-0.

外部リンク

編集