リチャード・ミル (第5代準男爵)
第5代準男爵サー・リチャード・ミル(英語: Sir Richard Mill, 5th Baronet、1689年頃[1]/1690年[2] – 1760年5月16日)は、グレートブリテン王国の政治家、準男爵。
生涯
編集第3代準男爵サー・ジョン・ミルとマーガレット・グレイ(Margaret Grey、1692年10月以前没、トマス・グレイの娘)の息子として生まれた[2]。1706年に兄ジョンが死去すると、準男爵位を継承した[2]。1708年3月12日、オックスフォード大学セント・ジョンズ・カレッジに入学した[3]。
1723年から1724年までハンプシャー州長官を務めた[2]。
1721年11月にサマセット公爵の影響力によりミッドハースト選挙区の補欠選挙で当選、翌年の総選挙まで庶民院議員を務めた[1]。1729年2月にミッドハースト選挙区の補欠選挙で再び当選、1734年イギリス総選挙でリチャード・エッジカム(後の初代エッジカム男爵)の影響力によりペンリン選挙区に鞍替えして再選、1741年イギリス総選挙でアーバイン子爵の影響力によりホーシャム選挙区に鞍替えして再選した後、1747年イギリス総選挙で出馬せず議員を退任した[1]。議員を務めた全期間を通して与党を支持した[1]。
1760年5月16日にウールベディングで死去、23日に(妻と同じく)同地で埋葬された[2]。長男リチャードが準男爵位を継承した[2]。
家族
編集1712年3月12日、マーガレット・ノウルズ(Margaret Knollys、1688年頃 – 1744年10月11日、ロバート・ノウルズの娘)と結婚[2]、4男5女をもうけた[1]。
- リチャード(1717年 – 1770年) - 第6代準男爵
- ジョン・ホビー(1719年 – 1780年) - 第7代準男爵
- ヘンリー(1719年 – 1781年) - 第8代準男爵
- チャールズ(1722年 – 1792年) - 第9代準男爵
1751年に妻の親族トマス・ノウルズ(Thomas Knollys、ヘンリー・ノウルズの息子)が死去すると、グローヴ・プレイスを継承した[1]。
出典
編集- ^ a b c d e f Lawson, J. B. (1970). "MILL, Sir Richard, 5th Bt. (?1689-1760), of Woolbeding, nr. Midhurst, Suss.". In Sedgwick, Romney (ed.). The House of Commons 1715-1754 (英語). The History of Parliament Trust. 2020年6月8日閲覧。
- ^ a b c d e f g Cokayne, George Edward, ed. (1900). The Complete Baronetage (1611–1625). Vol. 1. Exeter: William Pollard & Co. p. 133.
- ^ Foster, Joseph, ed. (1891). "Michaelson-Morcombe". Alumni Oxonienses 1500-1714 (英語). Oxford: University of Oxford. pp. 1007–1026.
グレートブリテン議会 | ||
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先代 ウィリアム・ナイト ミドルトン子爵 |
庶民院議員(ミッドハースト選挙区選出) 1721年 – 1722年 同職:ミドルトン子爵 |
次代 ブルストロード・ピーチー ミドルトン子爵 |
先代 ブルストロード・ナイト ミドルトン子爵 |
庶民院議員(ミッドハースト選挙区選出) 1729年 – 1734年 同職:ブルストロード・ナイト |
次代 ブルストロード・ナイト サー・トマス・ブートル |
先代 サー・セシル・ビショップ準男爵 エドワード・ヴァーノン |
庶民院議員(ペンリン選挙区選出) 1734年 – 1741年 同職:ジョン・クレイヴァーリング |
次代 ジョン・エヴリン エドワード・ヴァーノン |
先代 チャールズ・エヴァーズフィールド チャールズ・イングラム閣下 |
庶民院議員(ホーシャム選挙区選出) 1741年 – 1747年 同職:チャールズ・イングラム閣下 |
次代 チャールズ・イングラム チャールズ・イングラム閣下 |
イングランドの準男爵 | ||
先代 ジョン・ミル |
(カモイス・コートの)準男爵 1706年 – 1760年 |
次代 リチャード・ミル |