リカルド・ナニータ
リカルド・マイケル・ナニータ(Ricardo Michael Nanita、1981年6月12日 - )は、 ドミニカ共和国サントドミンゴ出身の元プロ野球選手(外野手)。左投左打。
基本情報 | |
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国籍 | ドミニカ共和国 |
出身地 | サントドミンゴ |
生年月日 | 1981年6月12日(43歳) |
身長 体重 |
6' 1" =約185.4 cm 195 lb =約88.5 kg |
選手情報 | |
投球・打席 | 左投左打 |
ポジション | 外野手 |
プロ入り | 2003年 MLBドラフト14巡目 |
初出場 | NPB / 2015年3月27日 |
最終出場 | NPB / 2016年8月13日 |
経歴(括弧内はプロチーム在籍年度) | |
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国際大会 | |
代表チーム | ドミニカ共和国 |
WBC | 2013年 |
この表について
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獲得メダル | ||
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ドミニカ共和国 | ||
ワールド・ベースボール・クラシック | ||
金 | 2013 | 野球 |
経歴
編集プロ入りとマイナー時代
編集2003年のMLBドラフト14巡目(全体412位)でシカゴ・ホワイトソックスから指名され入団。ルーキー級グレートフォールズ・ホワイトソックスで47試合に出場し、5本塁打37打点11盗塁、打率.384だった。
2004年はA+級ウィンストン・セーラム・ワルホグズとA級カナポリス・インティミデイターズでプレー。
2005年はA+級ウィンストン・セーラムで120試合に出場し、9本塁打54打点14盗塁、打率.292だった。
2006年はAA級バーミングハム・バロンズで106試合に出場し、8本塁打42打点11盗塁、打率.286だった。
2007年はAA級バーミングハムで123試合に出場し、5本塁打42打点10盗塁、打率.260だった。
2008年はAA級バーミングハムで111試合に出場し、9本塁打51打点14盗塁、打率.286だった。オフに行われたルール・ファイブ・ドラフトで、ワシントン・ナショナルズから指名され移籍。
2009年は開幕をメキシカンリーグのモンテレイ・サルタンズで迎え、5月からはベラクルス・レッドイーグルスでプレー。7月からルーキー級ガルフ・コーストリーグ・ナショナルズでプレーし、9試合に出場した。
2010年はメキシカンリーグのタバスコ・キャトルメンでプレー。62試合に出場し、6本塁打30打点1盗塁、打率.341だった。8月30日にトロント・ブルージェイズとマイナー契約を結んだ。AA級ニューハンプシャー・フィッシャーキャッツで6試合に出場した。
2011年はAA級ニューハンプシャーとAAA級ラスベガス・フィフティワンズでプレー。AAA級では51試合に出場し、8本塁打33打点6盗塁、打率.363だった。
2012年1月6日にブルージェイズとマイナー契約で再契約した。AAA級ラスベガスで93試合に出場し、12本塁打62打点3盗塁、打率.306だった。オフの11月21日にブルージェイズとマイナー契約で再契約を結んだ[1]。
2013年は招待選手としてスプリングトレーニングに参加した[2]。シーズン開幕前の3月に開催された第3回ワールド・ベースボール・クラシック(WBC)のドミニカ共和国代表に選出された[3]。同大会でドミニカ共和国は優勝している。
シーズンはAA級ニューハンプシャーで開幕を迎えた。5月にAAA級バッファロー・バイソンズへ昇格。AAA級では38試合に出場し、2本塁打14打点1盗塁、打率.261だった。
2014年1月20日にブルージェイズとマイナー契約で再契約した。スプリングトレーニングには、招待選手として参加し、終了後、傘下AAAのバッファロー・バイソンズへ異動した。5月17日に、メキシカンリーグのキンタナロー・タイガースへ移籍した。オフに、リーガ・デ・ベイスボル・プロフェシオナル・デ・ラ・レプブリカ・ドミニカーナのアギラス・シバエーニャスに参加した。
中日時代
編集2014年12月15日に中日ドラゴンズと契約を結んだ[4]。
2015年3月27日の阪神タイガース戦で初出場を果たす。4月14日の対阪神戦では来日後初のサヨナラヒットを放った。持病の腰痛や左肘痛に悩まされ58試合出場に留まり本塁打も0本だったものの、打率は3割8厘をマークした[5]。8月には左肘の遊離軟骨除去手術を受けた[6]。
2016年は開幕当初は代打出場が中心だったが、4月12日の広島東洋カープ戦からは5番に入り[7]、4月23日の東京ヤクルトスワローズ戦では小川泰弘から来日初本塁打を放った[7]。20試合連続安打を記録し活躍したが、7月下旬に登録抹消された。8月9日に一軍登録されるが、怪我の影響で8月16日に登録抹消され、そのままシーズンを終えた。10月30日に球団は契約更新をしない方針であることが報道され、12月2日、自由契約公示された[8]。
中日退団後
編集2017年1月に左肘トミー・ジョン手術を受けた。そして、無所属のまま2017年シーズンを全休し、リハビリに専念することを明らかにした。5月にはキャッチボールを再開。将来的にはオフのウィンター・リーグで実戦復帰したのち、2018年からのNPB復帰を目指していた[9][10]。
しかし、NPBでナニータを獲得する球団はなく、2018年はメキシコのオアハカ・ウォーリアーズで4試合プレーしたのみに留まった。同年8月、母国ドミニカ共和国でプレー中にフェンスに激突、右腕数カ所を骨折する重傷を負った[11]。
現役引退後
編集2018年限りで現役を引退し、サントドミンゴ近郊で私設アカデミーを経営している。
2020年よりミネソタ・ツインズ傘下ルーキー級のドミニカン・サマーリーグ・ツインズの打撃コーチに就任した[12][13]。
選手としての特徴・人物
編集俊足巧打の外野手[14]。打撃では巧なバットコントロールと勝負強さが武器[14]。
エクトル・ルナ、アンダーソン・エルナンデスと3人で、自身等の出身であるドミニカ共和国のイニシャルであるDをとり「3D」と呼ばれていた[15]。
ブルージェイズ3A時代に同僚だった川﨑宗則とは親友であり、彼を「ジャパニーズ・ブラザー」と呼んでいる[14]。ナニータは「(川﨑は)自分の兄弟のように思っている。彼の奥さんから毎日、おにぎりをもらっていたよ」と振り返っている[14]。
2015年シーズン終了後、オフに肉体改造に着手。体重を12キロ減らし、体脂肪率も半減させ話題となった[5]。
専用の応援歌は用意されていないが、「ナニ~タ!ナニ~タ!ナニ~タ!オイオイオイ!」という専用コールが存在する(元ネタは2015年までJリーグ・名古屋グランパスに所属していたダニルソン・コルドバのチャント)。球場全体で盛り上がる応援として定着し、ナニータ自身も気に入っている[16][17]。
詳細情報
編集年度別打撃成績
編集年 度 |
球 団 |
試 合 |
打 席 |
打 数 |
得 点 |
安 打 |
二 塁 打 |
三 塁 打 |
本 塁 打 |
塁 打 |
打 点 |
盗 塁 |
盗 塁 死 |
犠 打 |
犠 飛 |
四 球 |
敬 遠 |
死 球 |
三 振 |
併 殺 打 |
打 率 |
出 塁 率 |
長 打 率 |
O P S |
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2015 | 中日 | 52 | 169 | 156 | 9 | 48 | 12 | 0 | 0 | 60 | 15 | 1 | 0 | 1 | 1 | 9 | 0 | 2 | 24 | 4 | .308 | .351 | .385 | .736 |
2016 | 92 | 340 | 319 | 32 | 91 | 16 | 0 | 8 | 131 | 35 | 0 | 1 | 0 | 4 | 15 | 0 | 2 | 52 | 9 | .285 | .318 | .411 | .728 | |
NPB:2年 | 144 | 509 | 475 | 41 | 139 | 28 | 0 | 8 | 191 | 50 | 1 | 1 | 1 | 5 | 24 | 0 | 4 | 76 | 13 | .293 | .329 | .402 | .731 |
年度別守備成績
編集年 度 |
球 団 |
外野 | |||||
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試 合 |
刺 殺 |
補 殺 |
失 策 |
併 殺 |
守 備 率 | ||
2015 | 中日 | 41 | 53 | 2 | 2 | 0 | .965 |
2016 | 78 | 107 | 3 | 3 | 0 | .973 | |
NPB | 119 | 160 | 5 | 5 | 0 | .971 |
記録
編集- NPB
- 初出場:2015年3月27日、対阪神タイガース1回戦(京セラドーム大阪)、10回表に浅尾拓也の代打で出場
- 初先発出場:2015年3月29日、対阪神タイガース3回戦(京セラドーム大阪)、5番・左翼手で先発出場
- 初打席・初安打:同上、1回表に藤浪晋太郎から左前安打
- 初打点:2015年4月9日、対東京ヤクルトスワローズ3回戦(明治神宮野球場)、5回表に新垣渚から右前適時打
- 初盗塁:2015年7月1日、対横浜DeNAベイスターズ13回戦(沖縄セルラースタジアム那覇)、8回表に二盗(投手:国吉佑樹、捕手:髙城俊人)
- 初本塁打:2016年4月23日、対東京ヤクルトスワローズ5回戦(ナゴヤドーム)、3回裏に小川泰弘から右越2ラン
背番号
編集- 60 (2015年 - 2016年)
登場曲
編集- 『Patiently Waiting』50 cent, Eminem(1・2打席)、『Trophies』Young Money, Drake(3打席以降)(2015年‐)
代表歴
編集脚注
編集- ^ Blue Jays sign three more free agents
- ^ Ricardo Nanita y su familia disfrutan su juego
- ^ 2013 Tournament Roster[リンク切れ] The official site of World Baseball Classic 2016年3月7日閲覧 [リンク切れ]
- ^ “新外国人選手獲得のお知らせ”. 中日ドラゴンズ (December 15, 2014). December 15, 2014閲覧。
- ^ a b 【中日】ナニータ、驚異の肉体改造で快打連発!スポーツ報知 2016年1月30日配信
- ^ 【中日】2年目ナニータ、ド派手ガッツポーズ!首脳陣の期待に応えたスポーツ報知 2016年3月30日配信
- ^ a b “首位・中日を支える“もう一人の”助っ人 実はすごいぞリカルド・ナニータ | BASEBALL KING”. BASEBALL KING. 2021年12月26日閲覧。
- ^ “自由契約選手|2016年度公示”. NPB.jp 日本野球機構 (2016年12月2日). 2016年12月3日閲覧。
- ^ 前中日のナニータ、トミー・ジョン手術受けていた…来季NPB復帰目指す
- ^ 左肘手術の元中日・ナニータ、ドミニカでキャッチボール再開「名古屋に戻れたら最高さ」
- ^ “元中日のナニータが母国ドミニカ共和国で重傷 試合中にフェンスに激突し右腕の数カ所骨折”. ベースボールチャンネル(BaseBall Channel). 2019年11月5日閲覧。
- ^ “Ricardo Nanita será coach de bateo DSL Twins” (Spanish). LIGAS MENORES (2020年2月26日). 2021年5月7日閲覧。
- ^ “Twins announce 2021 Minor League staff assignments” (English). MiLB.com (2021年1月20日). 2021年5月7日閲覧。
- ^ a b c d “ナニータ“ムネリンおにぎり”パワー!竜新助っ人3選手来日 - スポニチ Sponichi Annex 野球”. スポニチ Sponichi Annex. 2022年3月27日閲覧。
- ^ 中日のドミニカンパワーがセを席巻 「3D」はなぜ活躍できるのか Full-Count (2015年4月16日) 2015年6月21日閲覧
- ^ 中日ナニータ・コールが響く先制打&2号ソロnikkansports.com 2016年5月29日配信
- ^ 【中日】ナニータ「オイオイオイ…」3日間で2度目のお立ち台スポーツ報知 2016年5月29日配信
関連項目
編集外部リンク
編集- 選手の通算成績と情報 MLB、Baseball-Reference (Register)
- Ricardo Nanita stats MiLB.com
- 個人年度別成績 ナニータ - NPB.jp 日本野球機構
- Ricardo Nanita (@rnanita3) - X(旧Twitter)
- Ricardo Nanita (@rnanita3) - Instagram