リオ・ハリアントRio Haryanto, 1993年1月22日 - )は、中華系インドネシア人のレーシングドライバーである。

リオ・ハリアント
ハリアント(2011年)
基本情報
略称表記 HAR
国籍 インドネシアの旗 インドネシア
出身地 同・スラカルタ
生年月日 (1993-01-22) 1993年1月22日(31歳)
F1での経歴
活動時期 2016
所属チーム '16 マノー
出走回数 12
タイトル 0
優勝回数 0
表彰台(3位以内)回数 0
通算獲得ポイント 0
ポールポジション 0
ファステストラップ 0
初戦 2016年オーストラリアGP
最終戦 2016年ドイツGP
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初のインドネシア人F1ドライバー[1]

経歴

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アジアン・シリーズ

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カートで腕を磨いたのち、2008年から主にアジアで開催される「アジアン・フォーミュラ・ルノー・チャレンジ」、「フォーミュラ・アジア 2.0」、「フォーミュラ・BMW・パシフィック」に参戦。シングルシーターとしてのデビューを果たす。「フォーミュラ・アジア 2.0」では総合3位の好成績を収めた。

2009年は、オーストラリアン・ドライバーズ・チャンピオンシップ英語版や、昨年に引き続き「アジアン・フォーミュラ・ルノー・チャレンジ」など複数の選手権に参戦した。2年連続で出場した「フォーミュラ・BMW・パシフィック」では、第2戦セパンラウンドの第4レースから4連勝を決め波に乗ると、その後は1度も首位を譲らず2位と80ポイントの大差をつけて初タイトルを獲得した。シーズン終了後に「フォーミュラ・BMW・ヨーロッパ」へゲストドライバーとして参戦し、2レース出走した。

GP3シリーズ

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ハリアントは2010年より、F1のサポートレースであるGP3シリーズへの参戦を開始。マノー・レーシング・チーム(Manor Racing)から出走した。チームメイトはジェームズ・ジェイクスエイドリアン・タンベイエイドリアン・クアイフ=ホッブス英語版となった。第2戦イスタンブールラウンドの第2レースで初優勝を達成する。その後も2レースで表彰台を獲得し、ルーキーイヤーながらも総合5位となる。翌年もチームに残留し、チームメイトは昨年に引き続きエイドリアン・クアイフ=ホッブスと、新たにチームに加わったマティアス・ライネ英語版。シーズンを通じ2度の優勝を飾る。優勝したレースは両方とも雨が降り頻る中開催されたレースで、ウェットレースでの勝負強さを証明した。

Auto GP

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2011年には、GP3に参戦する傍らDAMSチームよりAuto GPへの参戦をスタートする。チームメイトはセルゲイ・アファナシエフ英語版とエイドリアン・タンベイ。メインで出場しているGP3との開催が被った第5戦以外、全レースに出場した。優勝1回を含む3度の表彰台を獲得し、総合7位となった。チームとしては、アファナシエフとタンベイ合わせての4度の優勝、欠場した第5戦の代役を務めたケビン・コルユス英語版の第1レースと第2レース連続入賞を含めてコンスタントにポイントを積み重ね、この年のタイトルを獲得した。

GP2シリーズ

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ハリアントのGP2シリーズ初参戦は、2011年のヤス・マリーナ・サーキットで開催されたノン・チャンピオンシップ戦であるGP2ファイナルだった。2012年からは、カーリンCarlin Motorsport)より本戦への参戦を発表。チームメイトは後にマルシャF1チームからF1デビューを果たしたマックス・チルトン。同カテゴリでは前身となる国際F3000で2000年と2001年シーズンに出場したアナンダ・ミコラ以来11年ぶりとなるインドネシア人ドライバーとなった。開幕戦セパンラウンドの第2レースでファステストラップを記録し、第10戦スパ・フランコルシャンラウンドの第1レースではポールポジションも達成している。最高位は第6戦バレンシアラウンド第1レースで記録した5位。総合14位でルーキーイヤーを終える。

2013年は、バルワ・アダックス・チームBarwa Addax Team)へ移籍する。チームメイトは、アメリカ人ドライバーのジェイク・ローゼンツウェイク英語版。第5戦シルバーストンラウンドの第2レースにおいて2位でフィニッシュし、自身初の表彰台を獲得した。チームとしてもシーズン最初の表彰台となった。しかし全体を通じ入賞もわずか4回までと苦戦し総合順位も19位と昨年より下回った。

2014年シーズンからは、EQ8・ケータハム・レーシングEQ8 Caterham Racing)への移籍を発表。チームメイトは後にマノー・マルシャF1チームからF1参戦を果たすアレクサンダー・ロッシ。第3戦モンテカルロラウンドの第2レースにて3位に入り、自身2度目の表彰台を獲得する。総合順位は昨年を少し上回る15位となる。

フル参戦を開始してから3年目となる2015年シーズンは、新たにカンポス・レーシング英語版へ移籍する。開幕戦バーレーンラウンドの第1レースでいきなり2位に入ると、続く第2レースでは自身初のGP2初優勝を果たし最高のスタートダッシュを決めた。シーズンを通じて優勝3回、2位が2回と上位争いに絡む走りを見せ138ポイント獲得し総合4位の好成績でシーズンを終える。

F1初ドライブは、2010年のシーズン終了後にヤス・マリーナ・サーキット行われた合同テストにおいて、ヴァージン・レーシングからテスト走行に参加した[2]。「ヴァージン・レーシング」は当時ハリアントが在籍していたGP3チーム「マノー・モータースポーツ」が創設に係ったチームであった。11月16日にテスト走行が行われ、コースに出たもののギアボックストラブルが発生しラップタイムは参加した全13人中最下位であった。

2012年も再びテストに参加し、当時GP2シリーズのチームメイトであったマックス・チルトンと共にマルシャF1チームからシルバーストン・サーキットで開催されるヤングドライバー・テストに参加した[3]。テストは2日間に亘って行われ、合計で300Kmを走破した。これによりスーパーライセンスの資格条件を満たしたためインドネシア人初となるスーパーライセンス所持者となった。

マノー在籍期 (2016年)

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2016年2月18日、マノー・レーシングのレギュラードライバーとして迎えられたことを発表した[4]。これにより初のインドネシア人レギュラーF1ドライバーが誕生した[1]。カーナンバーは88を選択している。チームメイトは、同じくF1初参戦となるパスカル・ウェーレイン[5]。ハリアントはインドネシア政府の援助を受けてシートを確保していたが、徐々に参戦資金が不足状態になり深刻な問題となった。そしてサマーブレイク中である8月10日、契約上の理由によりレースドライバーの座を明け渡した[6]。同時にチームは、残りのシーズンをリザーブドライバーとして残留する形のオファーを提示したことを発表する。ハリアント本人はこの契約に応じ、引き続きチームに残留が決まった。しかし、そのチームも資金難のため2016年シーズン後に消滅したため[7]、リザーブドライバーの立場も失った。

その後の音沙汰は無かったが、2018年に上海で行われたSIC888エンデュランスにアウディR8 LMS GT4をドライブしたのち、翌年からはGTワールドチャレンジ・アジアフェラーリ488 GT3でフル参戦した[8]。またレーシングドライバーとしての活動の傍ら、レストラン経営や父が経営する印刷会社の経営に携わるなど、実業家としても活動している。

エピソード

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レース戦績

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略歴

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シリーズ チーム レース 勝利 PP FL 表彰台 ポイント 順位
2008 アジアン・フォーミュラ・ルノー・チャレンジ アジア・レーシング・チーム 10 2 1 2 3 160 6位
フォーミュラ・アジア2.0 13 1 1 2 7 121 3位
フォーミュラ・BMW パシフィック パシフィック・レーシング 5 0 0 0 0 0 NC
2009 オーストラリアン・ドライバーズ・チャンピオンシップ - ナショナルA PHR・スクーデリア 2 0 1 1 0 29 11位
オーストラリアン・ドライバーズ・チャンピオンシップ - ゴールド・スター アストゥティ・モータースポーツ 2 0 0 0 0 18 8位
アジアン・フォーミュラ・ルノー・チャレンジ アジア・レーシング・チーム 2 0 0 0 2 48 11位
フォーミュラ・BMW ヨーロッパ スクーデリア・コローニ 2 0 0 0 0 0 NC
フォーミュラ・BMW パシフィック クエストネット・チーム・Qi-メリタス 15 11 7 9 12 250 1位
2010 GP3シリーズ マノー・レーシング 16 1 0 0 3 27 5位
フォーミュラ1 マルシャ・ヴァージン・レーシング テストドライバー
2011 GP3シリーズ マルシャ・マノー・レーシング 16 2 0 1 4 31 7位
Auto GP DAMS 14 1 1 2 3 82 7位
GP2ファイナル 2 0 0 0 0 0 17位
2012 GP2シリーズ カーリン 24 0 1 1 0 38 14位
2013 バルワ・アダックス・チーム 22 0 0 0 1 22 19位
2014 EQ8・ケーターハム・レーシング 22 0 0 0 1 28 15位
2015 カンポス・レーシング 22 3 0 1 5 138 4位
2016 フォーミュラ1 マノー・レーシング MRT 12 0 0 0 0 0 24位
リザーブドライバー (第13戦ベルギーGPより)
2019 ブランパンGT・ワールド・チャレンジ・アジア T2・モータースポーツ 12 0 0 0 0 11 31位
ブランパンGT・ワールド・チャレンジ・アジア - Pro-Am 12 0 0 0 1 62 12位
2019-20 アジアン・ル・マン・シリーズ - GT 1 0 0 0 0 6 7位*
  •  : ゲストドライバーとしての出走であるため、ポイントは加算されない。
  • * : 今シーズンの順位。(現時点)

GP3シリーズ

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エントラント 1 2 3 4 5 6 7 8 9 10 11 12 13 14 15 16 DC ポイント
2010年 マノー・レーシング CAT
FEA

20
CAT
SPR

25
IST
FEA

8
IST
SPR

1
VAL
FEA

6
VAL
SPR

4
SIL
FEA

2
SIL
SPR

Ret
HOC
FEA

Ret
HOC
SPR

Ret
HUN
FEA

20
HUN
SPR

18
SPA
FEA

11
SPA
SPR

11
MNZ
FEA

3
MNZ
SPR

23
5位 27
2011年 マルシャ・マノー・レーシング IST
FEA

26
IST
SPR

10
CAT
FEA

20
CAT
SPR

11
VAL
FEA

19
VAL
SPR

22
SIL
FEA

10
SIL
SPR

4
NÜR
FEA

1
NÜR
SPR

10
HUN
FEA

9
HUN
SPR

1
SPA
FEA

12
SPA
SPR

9
MNZ
FEA

3
MNZ
SPR

2
7位 31

Auto GP

編集
エントラント 1 2 3 4 5 6 7 8 9 10 11 12 13 14 順位 ポイント
2011年 DAMS MNZ
1

Ret
MNZ
2

11
HUN
1

10
HUN
2

5
BRN
1

6
BRN
2

2
DON
1

11
DON
2

11
OSC
1
OSC
2
VAL
1

5
VAL
2

1
MUG
1

5
MUG
2

2
7位 82

GP2シリーズ

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エントラント 1 2 3 4 5 6 7 8 9 10 11 12 13 14 15 16 17 18 19 20 21 22 23 24 DC ポイント
2012年 マルシャカーリン・GP2チーム SEP
FEA

12
SEP
SPR

10
BHR1
FEA

9
BHR1
SPR

15
BHR2
FEA

6
BHR2
SPR

6
CAT
FEA

16
CAT
SPR

15
MON
FEA

14
MON
SPR

11
VAL
FEA

5
VAL
SPR

Ret
SIL
FEA

10
SIL
SPR

12
HOC
FEA

17
HOC
SPR

11
HUN
FEA

12
HUN
SPR

7
SPA
FEA

10
SPA
SPR

7
MNZ
FEA

19
MNZ
SPR

12
MRN
FEA

9
MRN
SPR

11
14位 38
2013年 バルワ・アダックス・チーム SEP
FEA

20
SEP
SPR

18
BHR
FEA

15
BHR
SPR

24
CAT
FEA

9
CAT
SPR

24
MON
FEA

Ret
MON
SPR

16
SIL
FEA

7
SIL
SPR

2
NÜR
FEA

18
NÜR
SPR

14
HUN
FEA

11
HUN
SPR

10
SPA
FEA

19
SPA
SPR

25
MNZ
FEA

14
MNZ
SPR

7
MRN
FEA

20
MRN
SPR

11
YMC
FEA

14
YMC
SPR

12
19位 22
2014年 EQ8 ケーターハム・レーシング BHR
FEA

16
BHR
SPR

16
CAT
FEA

5
CAT
SPR

Ret
MON
FEA

7
MON
SPR

3
RBR
FEA

11
RBR
SPR

17
SIL
FEA

21
SIL
SPR

Ret
HOC
FEA

22
HOC
SPR

10
HUN
FEA

Ret
HUN
SPR

17
SPA
FEA

Ret
SPA
SPR

16
MNZ
FEA

16
MNZ
SPR

15
SOC
FEA

18
SOC
SPR

15
YMC
FEA

9
YMC
SPR

12
15位 28
2015年 カンポス・レーシング BHR
FEA

2
BHR
SPR

1
CAT
FEA

4
CAT
SPR

6
MON
FEA

16
MON
SPR

Ret
RBR
FEA

7
RBR
SPR

1
SIL
FEA

8
SIL
SPR

1
HUN
FEA

4
HUN
SPR

5
SPA
FEA

13
SPA
SPR

10
MNZ
FEA

13
MNZ
SPR

11
SOC
FEA

5
SOC
SPR

2
BHR
FEA

7
BHR
SPR

18
YMC
FEA

7
YMC
SPR

C
4位 138
エントラント シャシー エンジン 1 2 3 4 5 6 7 8 9 10 11 12 13 14 15 16 17 18 19 20 21 WDC ポイント
2016年 マノー MRT05 メルセデス PU106C Hybrid 1.6 V6 t AUS
Ret
BHR
17
CHN
21
RUS
Ret
ESP
17
MON
15
CAN
19
EUR
18
AUT
16
GBR
Ret
HUN
21
GER
20
BEL ITA SIN MAL JPN USA MEX BRA ABU 24位 0

ブランパンGT・ワールド・チャレンジ・アジア

編集
エントラント 1 2 3 4 5 6 7 8 9 10 11 12 順位 ポイント
2019年 T2・モータースポーツ SEP
1

17
SEP
2

18
CHA
1

7
CHA
2

16
SUZ
1

18
SUZ
2

16
FUJ
1

10
FUJ
2

Ret
KOR
1

Ret
KOR
2

13
SHA
1

16
SHA
2

8
31位 11

出典

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  1. ^ a b 【正式発表】マノー、リオ・ハリアントと契約 初のインドネシア人F1ドライバー誕生”. TOPNEWS (2016年2月18日). 2016年2月27日閲覧。
  2. ^ リオ・ハリアント、ヴァージンのF1マシンをテストドライブ”. F1-Gate.com (2010年9月12日). 2016年2月27日閲覧。
  3. ^ マルシャ、若手テストにGP2ドライバーを起用”. ESPN-F1 (2012年7月11日). 2016年2月27日閲覧。
  4. ^ マノー、リオ・ハリアントの起用を正式発表”. F1-Gate.com (2016年2月18日). 2016年2月27日閲覧。
  5. ^ マノー、ウェーレイン起用を正式発表”. ESPN F1 (2016年2月10日). 2016年2月27日閲覧。
  6. ^ 正式発表:ハリアントがマノーのシートを喪失。オコンがF1デビュー”. AUTO SPORT web (2016年8月10日). 2016年8月11日閲覧。
  7. ^ マノー、チーム売却について投資家と基本合意”. F1-Gate.com (2016年11月26日). 2016年12月15日閲覧。
  8. ^ 元F1ドライバーのリオ・ハリアント、2019年のブランパンGTアジアに参戦。フェラーリをドライブ”. AUTO SPORT web (2019年3月19日). 2019年3月19日閲覧。