ランディ・グロスマン(Randy Grossman 1952年9月20日- )はペンシルベニア州フィラデルフィア出身のアメリカンフットボール選手。NFLピッツバーグ・スティーラーズで1974年から1981年までプレーした。ポジションはタイトエンド。愛称はユダヤ系であることからチームメートのドワイト・ホワイトに名付けられたラビ[1]

ランディ・グロスマン
Randy Grossman
基本情報
ポジション タイトエンド
生年月日 (1952-09-20) 1952年9月20日(72歳)
出身地 アメリカ合衆国の旗 アメリカ合衆国
ペンシルベニア州フィラデルフィア
身長: 6' 1" =約185.4cm
体重: 218 lb =約98.9kg
経歴
大学 テンプル大学
ドラフト外 1974年
初出場年 1974年
初出場チーム ピッツバーグ・スティーラーズ
所属歴
1974-1981 ピッツバーグ・スティーラーズ
受賞歴・記録
スーパーボウル制覇(4回)
第9回第10回第13回第14回
NFL 通算成績
レシーブ回数 119回
レシーブ獲得ヤード 1,514ヤード
TDレシーブ 5回
Player stats at NFL.com
Player stats at PFR

経歴

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肉屋の息子として生まれた。高校時代にはアメリカンフットボールとレスリングを行った。

テンプル大学に進学した彼は3年間先発タイトエンドを務めた[2]。1972年に彼は23キャッチで349ヤードを獲得、4タッチダウンをあげた。1973年に彼はチームトップの39回のキャッチで683ヤードを獲得、4タッチダウンをあげた[1]

彼は1974年、ドラフト外フリーエージェントでピッツバーグ・スティーラーズに入団した[2]。この時の契約金額は最低年俸わずか15,000ドル(2012年の価値に直しても355,000ドル)であった[3]

第10回スーパーボウルではテリー・ブラッドショーからのTDパスをキャッチしている[1]1976年のドラフトで、スティーラーズがベニー・カニンガムを獲得するとグロスマンは控えとなった。1978年、カニンガムが負傷してシーズン絶望となった。この年、彼は自己ベストの37回のキャッチで448ヤードを獲得、1タッチダウンをあげた。

1981年の引退までに、第9回第10回第13回第14回と4回のスーパーボウル優勝を果たした[2]

現役引退後は、金融投資顧問を務めている[3]

人物

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彼はユダヤ人NFL選手として最多のスーパーボウルリング4個を持っている。これに続くのがサンフランシスコ・フォーティナイナーズでプレーしたハリス・バートン(3個)、ジョン・フランク(2個)、ライル・アルゼイドなど(1個)である[1]

第13回スーパーボウルを前に相手ディフェンスのトーマス・ヘンダーソンに、誰かが死んだり足を骨折しなければ出場できない選手と挑発された[4][5]

サンディエゴ・チャージャーズなどでプレーしたバート・グロスマン英語版は従兄弟[6]

脚注

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  1. ^ a b c d Ron Kaplan (2011年2月1日). “The ring’s the thing”. New Jersey Jewish News. 2012年11月28日閲覧。
  2. ^ a b c Inductions”. phillyjewishsports.com. 2012年11月28日閲覧。
  3. ^ a b Jim O'Brien (2012年7月6日). “Ex-Steeler Randy Grossman still playing for the money”. Pittsburgh Business Times. 2012年11月28日閲覧。
  4. ^ Joe Marshall (1979年1月29日). “My, How You Do Run On And On”. スポーツ・イラストレイテッド. 2012年11月28日閲覧。
  5. ^ アメリカズゲーム 〜スーパーボウルチャンピオンズ〜 第13回スーパーボウル
  6. ^ Tim Panaccio (1994年10月2日). “Grossman Adjusts To Life With Eagles For Starters, He Changed His Act. Or Did He?”. フィラデルフィア・インクワイアラー. 2012年11月29日閲覧。

関連項目

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外部リンク

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