ランサム・E・オールズRansom E. Olds1864年6月3日 - 1950年8月26日)はオールズモビルを創立し、のちレオ自動車を設立し経営した米国人の実業家、技術者。『アメリカの自動車の天才』といわれる。オールズと離れたところでオールズモビルという名前は宣伝され続けていたが、アメリカ人はランサム・E・オールズを『アメリカの自動車の天才』と呼び、尊敬した。

ランサム・E・オールズは、『オールズ・モーター・ビークル・カンパニー』(Olds Motor Vehicle Company, Inc., )を1897年ミシガン州ランシングに創立、四輪自動車の生産を開始。オールズモビルが誕生した。この年すでに4人乗りを作っていた。

1899年に、サミュエル・スミスにより会社が買収され、『オールズ・ガソリン・エンジン・ワークス』(Olds Gasoline Engine Works)と合併し、『オールズ・モーター・ワークス』(Olds Motor Works)となる。会社はデトロイトに移り、スミスが社長となり、オールズは副社長兼事業部長となる。米国初の自動車専用工場がデトロイトに誕生する。

1906年REOラナバウト
1917年REOスピードワゴン
梁瀬自動車株式会社によるレオ自動車の広告:1929年(昭和4年)

1901年にオールズは、ダッシュボードが美しいカーブを描いている『カーブドダッシュ』オールズモビルの生産を始める。同年、アセンブリーライン利用による初の大量生産を始める。2番目はランブラー、3番目はフォードが初期のA型で行う。フォードはのちにベルトコンベアを使用してこの行程の効率をあげT型を生産する。

スミスとたびたび意見が違っていたオールズは1904年社を離れ、ミシガン州ランシングに『REオールズ・モーター・カー・カンパニー』(R.E. Olds Motor Car Company)を設立するが、オールズ・モーター・ワークスの訴追を恐れ、社名はすぐに『REOモーター・カンパニー』と変更された。オールズはここで社長となり、自動車の開発生産をつづけた。

1925年に会長となる。REO社は1936年まで自動車の生産を行っていたが、以降はトラックと一部バスの生産に切り替え1975年まで操業を続けた。REO社は公式な会社名を初期には全文字を大文字で綴りアールイーオーと読んでいたが、のちにReoと綴りレオと読むようになった。日本では「レオ自動車」として紹介された。

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