ラトビア・ソビエト・リガ平和条約
1920 年 8 月 11 日にリガで調印された、RSFSR とラトビアの間の平和条約
ラトビア・ソビエト・リガ平和条約[1](ラトビア・ソビエト・リガへいわじょうやく、ラトビア語: Miera līgums starp Latviju un Krieviju; ロシア語: Мирный договор между Россией и Латвией)は、1920年にラトビア民主主義共和国とロシア社会主義連邦ソビエト共和国の間で結ばれた条約である。
ラトビア・ソビエト・リガ平和条約 | |
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署名 | 1920年8月11日 |
署名場所 | リガ |
発効 | 1920年10月4日 |
締約国 | ラトビア民主主義共和国とロシア社会主義連邦ソビエト共和国 |
主な内容 | ラトビアの独立を承認 |
この条約により、ラトビア=ロシア戦争が終結した。またロシアは、契約により確定された"永久の"国境線の下、ラトビアの独立を承認した。
締結
編集条約はモスクワにおいて準備され、1920年8月11日、リガにおいて締結された。
ラトビア側は、Jānis Vestmanis、Pēteris Berģis、Ansis Buševics、Eduards Kalniņš、Kārlis Pauļuks が署名した。ロシア側は、アドリフ・ヨッフェとヤーコフ・ガネツキーが署名した。
サエイマ(ラトビア議会)は1920年9月2日、リガにおいて条約を批准し、モスクワにおいても1920年9月9日、条約は承認された。批准書の交換は1920年10月4日に行われた。
内容
編集- 第1条では、両国間の戦争は、条約の発効をもって終結すると明記された。
- 第2条により、ソビエト・ロシアは、ラトビアを独立した共和国であると認めた。
- 第3条では、両国の国境線と、条約締結後14日以内に、自国領へ軍を撤退させることが取り決められた。
その他、捕虜交換について調整された。いくつかの条文では、第一次世界大戦中、ロシアにより奪われた全ての文化遺産の返還について定められた。
脚注
編集- ^ 日本語訳は、「「ラトヴィア」國露西亜國間平和條約」外務省条約局編『「ソ」聯邦諸外國間條約集』1939年、1425頁、参照
関連項目
編集- 条約の一覧
- リガ平和条約(曖昧さ回避)
- ラトビアの歴史
- バルト国防軍 (de:Baltische Landeswehr)
外部リンク
編集- 条約全文
- "Latvijas Kareivis(ラトビアの兵士)"紙(1920年8月12日付記事) - mit Bericht über die Lettisch-Russische Friedenskonferenz (in lettisch) und dem Beginn des lettischen Wortlauts des Friedensabkommens bis Artikel V.
- "Latvijas Kareivis"紙(1920年8月13日付記事) - mit dem lettischen Wortlaut des Friedensabkommens ab Artikel VI.
- "Latvijas Kareivis"紙(1920年8月14日付記事) - mit dem restlichen lettischen Wortlaut des Friedensabkommens ab Artikel XII.