ヨランド・ド・ドルー (スコットランド王妃)
ヨランド・ド・ドルー(Yolande de Dreux, 1263年 - 1330年8月2日)は、スコットランド王アレグザンダー3世の2番目の妃、のちブルターニュ公アルテュール2世の2番目の妃。父はドルー伯ロベール4世、母はモンフォール=ラモーリー女伯ベアトリスで、母を継いでモンフォール=ラモーリー女伯となった。
ヨランド・ド・ドルー Yolande de Dreux | |
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スコットランド王妃 | |
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在位 | 1285年 - 1286年3月19日 |
別称号 |
モンフォール=ラモーリー女伯 ブルターニュ公妃(1294年 - 1312年) |
出生 |
1263年 |
死去 |
1330年8月2日 フランス王国、ポール・ロワイヤル修道院 |
結婚 |
1285年10月14日 ジェドバラ修道院 1294年5月 |
配偶者 | スコットランド王アレグザンダー3世 |
ブルターニュ公アルテュール2世 | |
子女 | 本文参照 |
家名 | ドルー家 |
父親 | ドルー伯ロベール4世 |
母親 | モンフォール=ラモーリー女伯ベアトリス |
生涯
編集1285年10月14日、ジェドバラにおいてスコットランド王アレグザンダー3世と結婚した。アレグザンダーは1275年に先妻マーガレット・オブ・イングランド(イングランド王ヘンリー3世の娘)と死別した後、1281年から1284年までの間に2男1女の子供全員に先立たれていた。1286年、再婚から5ヶ月後にアレグザンダーは落馬により急逝し、ヨランドとは子供をもうけずに終わった。スコットランド貴族はアレグザンダーと先妻の娘マーガレットがノルウェー王エイリーク2世との間にもうけた娘で3歳のマーガレットを、ノルウェーの父親の許にとどめたまま女王に立てた。
1294年、ヨランドはドルー家の同族(ただし両者の4代前の先祖が共通という遠縁)で、マーガレット・オブ・イングランドの甥でもあるブルターニュ公アルテュール2世と再婚し、2人は1男5女をもうけた。アルテュールには先妻マリー・ド・リモージュ(ヨランドの同名の大伯母とブルゴーニュ公ユーグ4世の外孫でドルー伯家の血を引き、ヨランドの又従姉妹にあたる)との間にすでに3男があり、次男の娘ジャンヌ・ド・パンティエーヴルとヨランドとの間にもうけたジャン・ド・モンフォールとの間で後に相続争いが起こり、ブルターニュ継承戦争へと発展する。
子女
編集2番目の夫ブルターニュ公アルテュール2世との間に以下の子女が生まれた。
- ジャン・ド・モンフォール(1294年 - 1345年) - モンフォール=ラモーリー伯。ジャン4世・ド・ブルターニュの父
- ベアトリクス(1295年 - 1384年) - ギー10世・ド・ラヴァルの妻
- ジャンヌ(1296年 - 1364年) - ロベール・ド・カッセルの妻
- アリックス(1297年 - 1377年) - ヴァンドーム伯ブシャール6世の妻
- ブランシュ(1300年没)
- マリー(1302年 - 1371年) - ポワシー修道院の尼僧
参考文献
編集- 森護 『スコットランド王室史話』 大修館書店、1988年
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