ヨハンネス・グラティアヌス
ヨハンネス・グラティアヌス(Johannes Gratianus、1100年? - 1150年?)は、12世紀のボローニャの法学者。グラーティアヌスとも。
ヨハンネス・グラティアヌス | |
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生誕 |
1100年? イタリア |
死没 | 1150年? |
職業 | 法律家 |
人物
編集その生涯の詳細は定かでなく伝説に包まれている。1139~42年の間に数多くの教令を精選し[1]、これに解説をつけた『矛盾教会法令調和集』(Concordia canonum discordantium)を出版し、教会法を理論的に体系化したことから、カノン法学の父と呼ばれる。「矛盾教会法令調和集」は後に『グラティアヌス教令集』(Decretum Gratiani)と呼ばれるようになって権威付けされ、大学で、カノン法とローマ法の双方を修めた「両法博士」(doctor utriusque juris)は西欧諸国で通用する大変権威あるものとなった。
脚注
編集- ^ F・W・メイトランド『イングランド憲法史』創文社、1981年、16頁。
- ^ 苑田亜矢「一二世紀後半イングランドにおける両剣論」熊本法学, 127: 241-289,2013-03-21
参考文献
編集- ホセ・ヨンパルト『教会法とは何だろうか』(成文堂)
- 勝田有恒、山内進編著『近世・近代ヨーロッパの法学者たち―グラーティアヌスからカール・シュミットまで 』(ミネルヴァ書房、2008年)
- 苑田亜矢「一二世紀後半イングランドにおける両剣論」熊本法学, 127: 241-289,2013-03-21