ユーロマイダン
ユーロマイダン(ウクライナ語:Євромайдан、ロシア語:Евромайдан, Yevromaidan)とは、ウクライナで起きた市民運動のことで、2013年11月21日夜に首都キーウにある独立広場におけるデモ活動に始まり、2014年のマイダン革命(尊厳の革命)[1][2](ユーロ・マイダン革命)[3]では、親ロシア派のヴィクトル・ヤヌコーヴィチ大統領の追放をもたらした。ウクライナがロシアと欧州連合のどちらを選択するかが争われた2004年のオレンジ革命に続く革命であった。
ユーロ(Euro)は「欧州」、マイダン(maidan)はウクライナ語で「広場」の意味で、“欧州広場”という意味になる[4][5][出典無効]。
概要
編集この抗議運動は、ウクライナ-EU 連合協定の署名を中止する代わりに、ロシアやユーラシア経済連合との結びつきを強化するというウクライナ政府の決定により引き起こされた。運動の規模はヴィクトル・ヤヌコーヴィチ大統領の辞任要求とともに瞬く間に拡大した[6]。この運動は「政治の腐敗」や「権力の濫用」、「(ウクライナの)人権侵害」という認識により支えられていた[7]。トランスペアレンシー・インターナショナルは、ヤヌコーヴィチ大統領を世界一腐敗した人物の例とした[8]。11月30日のデモ参加者への攻撃の後、状況はさらに悪化してより多くの参加者を招くことになり、やがてこの抗議活動は2014年ウクライナ騒乱につながっていった。
ユーロマイダンの間はウクライナ各地で抗議運動や警察との衝突があり、特にキーウの独立広場は、参加者らによってキーウ市政当局を含めたいくつかの行政庁舎とともに占領・封鎖された[9]。 12月8日、デモの群衆は近くのレーニン像を倒すに至り、対デモ法がウクライナ議会を通過した後の1月に運動と衝突は増加した。参加者はウクライナ各地の地方行政庁舎を占拠し、2月中旬に勢いは頂点に達した。機動隊は広場に向かって前進し抗議者と衝突したが、完全には占領しなかった。警察とデモ隊はキーウの複数の場所で実弾やゴム弾を発砲し、フルシェフスキー通りの暴動も起きた(オタワ大学[要曖昧さ回避]のある政治学者が2015年に出した論文では、キーウのこの虐殺は政府の転覆と権力掌握を目的として合理的に計画および実行された虚偽の操作だと仮定している[10]。ユーロマイダンによる死者一覧も参照)。一連の事件の結果、2014年2月21日にロシアと欧州連合調停の下、ヤヌコーヴィチ大統領と議会反対派の指導者ら(ビタリ・クリチコやアルセニー・ヤツェニュクなど)によりウクライナにおける政治危機の解決合意が結ばれた。この署名にはドイツ外相フランク=ヴァルター・シュタインマイアーやポーランド外相Radosław Sikorskiらが立ち会ったが[11]、ロシア代表のウラジーミル・ルキンは署名を拒否した。
合意締結後まもなく、ヤヌコーヴィチとその他の政府高官らは国外へ逃亡した[12]。抗議運動の参加者らは大統領府の管理とヤヌコーヴィチの私的不動産を得た。その後、議会はヤヌコーヴィチを解任し大統領代行としてオレクサンドル・トゥルチノフを置き、前首相のユーリヤ・ティモシェンコの釈放を命じた。キーウでのユーロマイダンの後まもなく、ウクライナ東部において2014年クリミア危機と親ロシア派騒動が起きた。ヤヌコーヴィチの追放[13]や新政権の誕生、EUとの連合協定の規定採択などにもかかわらず、ウクライナでのロシアの影響を拒絶するために抗議運動は政府に圧力をかけ続けている。
暴動後、警察機能がなくなったため、自警団がキーウの治安維持にあたったが、その一つに政党「スヴォボーダ」と繋がりのある”C14 (ウクライナ)”などがいた[14]。
反応
編集ウクライナ
編集2013年12月の世論調査(異なる三箇所の会社)によると、ウクライナ人の45%から50%がユーロマイダンを支持していて、42%から50%がそれを反対していることが明らかになった[15][16][17]。最もデモ隊を支持している地域はキーウ(75%支持)と西部ウクライナ(80%支持)だった[15][18]。12月7~8日間の世論調査では、73%のデモ隊が要求事項が行われるまでデモを続けると回答した[17]。なお、世論調査では三つの方向に意見が分かれていることが示された。青年層の絶対多数が親ユーロ派であるのに対し、高齢層(50代以上)はベラルーシ、カザフスタン、ロシアの関税同盟条約に賛成している[19]。
ロシア
編集ロシア国有の世論調査センターによって2014年2月24日に発行された世論調査では、「ロシアは合法的に選ばれた政権の打倒に反応するべきか?」という質問に対し、肯定的に答えたロシア人はわずか15%だった[20]。大統領のウラジーミル・プーチンは、ネオナチが背後にいると主張した[21]。
トレンドとシンボル
編集デモ参加者らの間での一般的なスローガンは「ウクライナに栄光を、英雄に栄光を!(Слава Україні, Героям слава)」というものであった[22]。これはウクライナを越えて広がり、クリミア・タタール人やロシア人によっても使われた[22][23]。
ウクライナ蜂起軍(UPA)の赤と黒の軍旗は参加者にとってもうひとつの人気なシンボルであり、ユーロマイダンの間、UPAは彼らにとって大きなインスピレーションの役割を果たしてきた[24]。ビクトリア大学のSerhy Yekelchykは、UPAの旗とスローガンの使用は反乱者そのものへの憧れというよりは現政権やロシアへ反発する抗議運動のより強力な象徴であると述べ、「キーウにおけるUPAの象徴的意義が突然顕著になる理由は、それが現政権の親露路線に対する抗議の最も強い可能な表現だからだ。」と説明している[25] 。UPAの軍旗の色は、ウクライナのチェルノーゼムの黒土にこぼれ落ちた赤い血を象徴している[26]。
遺産
編集2014年10月中旬、ペトロ・ポロシェンコ大統領は(ユーロマイダンが始まった)11月21日は「尊厳と自由の日」として祝われるだろうと述べた[27]。
2019年2月には、ウクライナ政府がНебесная Сотня通りとして知られるようになったІнститутська通りの長さにわたるであろう新たなマイダン記念碑を起工した[28]。
脚注
編集- ^ 外務省「ウクライナ基礎データ『略史』」 令和4年1月4日
- ^ 岡部芳彦著「マイダン革命はなぜ起こったか―ロシアとEUのはざまで―」 第2版 日本ウクライナ文化交流協会編集:ドニエプル出版、2019
- ^ 岩永真治「ウクライナ通信(7)ウクライナの現在 -「オレンジ革命」とその結末」明治学院大学
- ^ 鏡を使い抗議・デモを行う人々:ウクライナ・キーウの独立広場
- ^ ウクライナの今週の動き。不屈のヤヌコヴィチ、追い立てられた「マイダン」と国民期待の冬
- ^ Kiev protesters gather, EU and Putin joust, Reuters (12 December 2013)
- ^ Yanukovych Offers Opposition Leaders Key Posts , Radio Free Europe/Radio Liberty (25 January 2014)
- ^ “Transparency International names Yanukovych world's most corrupt - Feb. 11, 2016”. 2016年2月11日閲覧。
- ^ “Revolution on Euromaidan”. Foreign Affairs. (2013-12-09) .
- ^ Katchanovski, Ivan (2015). “The Snipers Massacre on the Maidan in Ukraine”. Academia.edu .
- ^ “Гарантом выполнения Соглашения об урегулировании кризиса в Украине является народ - Томбинский”. unian.net. 25 February 2014閲覧。
- ^ Walker, Shaun; Salem, Harriet (2014年2月22日). “Ukraine: 'The dictatorship has fallen.' But what will take its place?” (英語). The Observer. ISSN 0029-7712 2019年2月23日閲覧。
- ^ Sindelar, Daisy. “Was Yanukovych's Ouster Constitutional?”. Radio Free Europe, Radio Liberty (Rferl.org). 25 February 2014閲覧。 “2月22日の性急な投票が、ウクライナの憲法裁判所とヴェルホーヴナ・ラーダの4分の3の賛成による再審理を求める憲法の指針を支持することは明白ではない。-- i.e., 338 lawmakers.”
- ^ Neo-Nazi threat in new Ukraine: NEWSNIGHT. BBC. 28 February 2014.
- ^ a b “Евромайдан – 2013”. Research & Branding Group. 2022年2月24日閲覧。
- ^ “Майже половина українців підтримує київський Євромайдан”. опитування R&B Group. 2022年2月24日閲覧。
- ^ a b “Poll reveals Ukrainian majority supports EuroMaidan”. Ukraine Business Online (2013年12月30日). 2014年1月22日閲覧。
- ^ “Ukraine protesters take rally to Yanukovich’s residence”. Financial Times. 2022年2月24日閲覧。
- ^ “Пресс-релизы и отчеты Каким путем идти Украине – к какому союзу присоединяться?”. 2022年2月24日閲覧。
- ^ “4 Reasons Putin Is Already Losing in Ukraine”. Time. (3 March 2014)
- ^ David Speedie (2014年3月6日). “Rein in Ukraine's neo-fascists”. CNN
- ^ a b Допис by Alexey Tarasoff. (27 February 2014). “Хокейні вболівальники Росії під час матчу кричали Слава Україні | Українська правда”. Pravda.com.ua. 3 March 2014閲覧。
- ^ “Crimean Tatars protest Crimean parliament's refusal to recognize new authorities”. Nrcu.gov.ua (26 February 2014). 10 March 2014時点のオリジナルよりアーカイブ。3 March 2014閲覧。
- ^ “Ukraine Radicals Steer Violence as Nationalist Zeal Grows”. Bloomberg News. (11 February 2014)
- ^ “UPA: Controversial partisans who inspire Ukraine protesters”. New Straits Times (31 January 2014). 3 March 2014時点のオリジナルよりアーカイブ。16 March 2014閲覧。
- ^ “"Свободовцы" послали Лукьянченко красно-черный флаг - Донецк.comments.ua”. Donetsk.comments.ua (18 January 2014). 3 March 2014閲覧。
- ^ “Ukrainians to celebrate Day of Dignity and Freedom on November 21, Unity Day on January 22”. Interfax-Ukraine. (13 November 2014) 16 September 2018閲覧。
“Противники приостановки евроинтеграции Украины в ночи вышли на улицы Киева [Opponents of suspension Ukraine's European integration in the night took to the streets of Kiev]” (ロシア語). NEWSru. (22 November 2013) - ^ “'It Was A Tragedy Then. We Have Another Tragedy Now.' Ukrainians Rue Lack Of Justice For Euromaidan Killings” (英語). RadioFreeEurope/RadioLiberty. 2019年2月23日閲覧。
参考文献
編集- 岡部芳彦著「マイダン革命はなぜ起こったか―ロシアとEUのはざまで―」 第2版 日本ウクライナ文化交流協会編集:ドニエプル出版、2019