ユーリ・ボリソヴィチ・ハリトンЮ́лий Бори́сович Харито́н、ラテン翻字例:Yulii Borisovich Khariton、1904年2月27日 - 1996年12月18日)はソビエト連邦の物理学者である。ソビエトの原爆開発計画のリーダーの一人。ユダヤ系

サンクトペテルブルクにジャーナリストの子として生まれた。1920年からサンクトペテルブルク工科大学で学んだ。1926年から2年間キャヴェンディッシュ研究所アーネスト・ラザフォードのもとで研究した。1946年から核閉鎖都市アルザマス16(現サロフ)の全ロシア実験物理学研究所(VNIIEF)の研究リーダーを務め、1949年8月29日のソビエトの核実験の成功に功績があった。

1956年にレーニン賞 、1949年、51年、54年の3度のスターリン賞、1982年にロモノーソフ金メダルなど多くの賞を受賞した。