ユーゴスラビア・ディナール
ディナール(динар/dinar)とは、3つのユーゴスラビア(ユーゴスラビア王国、ユーゴスラビア社会主義連邦共和国、ユーゴスラビア連邦共和国)の通貨。ディナールの補助単位はパラ(пара/para)で、1ディナールは100パラ。デノミは7回行われ、うち5回は1990年 - 1994年のハイパーインフレーションで行われている。8つのディナールには、それぞれ異なった名前とISO 4217コードが与えられている。
ユーゴスラビア・ディナール | |||||
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Југословенски динар/Jugoslavenski dinar (セルボ・クロアチア語) | |||||
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使用 国・地域 | ユーゴスラビア | ||||
補助単位 | |||||
1/100 | パラ | ||||
通貨記号 | din. and дин. | ||||
複数形 | この通貨の言語はスラヴ語派に属する。複数形を構築する複数の方法がある。 | ||||
硬貨 | 50 パラ, 1, 2, 5 ディナール | ||||
紙幣 | 10, 20, 50, 100, 200, 500, 1000, 5000 ディナール | ||||
このinfoboxは、通貨が変更される直前の値を示している。 |
言語
編集連邦が崩壊した1990年初頭までは、ユーゴスラビアには4つの公用語があった。各言語での表記は以下の通り。
言語 | 通貨名 | 単数形 | 複数形 (2) | 複数形 (5+) |
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クロアチア語 | Jugoslavenski dinar | dinar | dinara | dinara |
マケドニア語 | Југословенски динар | динар | динари | динари |
スロベニア語 | Jugoslovanski dinar | dinar | dinarja | dinarjev |
セルビア語 | Југословенски динар Jugoslovenski dinar |
динар dinar |
динара dinara |
динара dinara |
歴史
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1918年の(セルビア)ディナール, YUS, 1918 - 1941
編集ディナールは、元々セルビアの通貨だった。1918年にセルボ・クロアート・スロヴェーヌ王国が成立。クローネ(1ディナール = 4クローネ)と共にクロアチア、スロベニア、ボスニア・ヘルツェゴビナに流通することになった。セルボ・クロアート・スロヴェーヌ王国の名で硬貨と紙幣発行されたのは1920年からで、それまではセルビア王国の硬貨と紙幣が流通していた。1929年には国号がユーゴスラビアに変わり、通貨に書かれる名前も改められた。
1931年、為替レートが1アメリカ・ドル = 56.4ディナールと定められた。このレートは、1933年には44ディナールに変更された。1937年、旅行者向け為替レート250ディナール = 1イギリス・ポンドが確立された。1941年に、ユーゴスラビアからクロアチア独立国(ナチスの傀儡国家)が独立を宣言。クロアチア、ボスニア・ヘルツェゴビナ地域ではディナールと等価のクーナが発行され、ユーゴスラビアを占領したブルガリアのレフ、イタリアのリラ、ドイツのライヒスマルクもこれら地域で流通した。
1944年の(連邦)ディナール, YUF, 1944 - 1965
編集1944年、ユーゴスラビアは再結成されると、セルビア・ディナール、クロアチア・クーナや占領国の通貨に代わって、ユーゴスラビア・ディナールが登場した。交換レートは、1ユーゴスラビア・ディナール = 20セルビア・ディナール = 40クーナ。1945年5月には、50ディナール = 1米ドルの固定レートが設定されたものの、レートが維持されることはなかった。
Date | 変換レート(新=旧) |
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1966年1月1日 | 1 = 100 |
1990年1月1日 | 1 = 10,000 |
1992年7月1日 | 1 = 10 |
1993年10月1日 | 1 = 1,000,000 |
1994年1月1日 | 1 = 1,000,000,000 |
1994年1月24日 | 1 = 12,000,000 |
1966年の(ハード)ディナール, YUD, 1966 - 1989
編集1966年1月1日、通貨が100分の1に切り下げられた。この通貨は決して安定していたわけではなく、年15 - 25%のインフレーションに悩まされた[1]。1980年代、インフレ率の上昇は加速し1990年にデノミネーションが行われた。
1990年の(兌換)ディナール, YUN, 1990 - 1992
編集二回目の通貨切り下げは、1990年1月1日に行われ、通貨が1万分の1に切り下げられた。この頃、構成国の多くはユーゴスラビア社会主義連邦共和国から脱退しようとしていた。6つの共和国のうち4国は、独立を宣言し独自の通貨を発行し始めた。この通貨は、「ユーゴスラビア社会主義連邦共和国」と複数の言語で記された最後の通貨となった。
国名 | 通貨 | 採用日 | 価値 |
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ボスニア・ヘルツェゴビナ | ディナール | 1992年7月 | 1ディナール (1992年) |
クロアチア | ディナール | 1991年12月23日 | 1ディナール(1990年) |
マケドニア共和国 | デナール | 1992年4月26日 | 1ディナール(1990年) |
スロベニア | トラール | 1991年10月8日 | 1ディナール(1990年) |
クロアチアのセルビア人勢力支配地域やボスニア・ヘルツェゴビナのセルビア人勢力支配地域では、それぞれユーゴスラビア・ディナールと等価のクライナ・ディナールとスルプスカ・ディナールが流通していた。
1992年の(改正)ディナール, YUR, 1992 - 1993
編集3回目の通貨切り下げは、1992年7月1日に行われ、通貨が10分の1に切り下げられた。この頃からユーゴスラビア紛争勃発に伴う経済状況の悪化やさまざまな制裁処置によりハイパーインフレーションが始まった。このディナールは崩壊後のユーゴスラビア連邦(今日のセルビアとモンテネグロ)中央銀行から発行された。
1993年の(十月)ディナール, YUO, 1993
編集4回目の通貨切り下げは、1993年の10月1日に行われ、通貨が100万分の1に切り下げられた。このデノミでもハイパーインフレーションは収束せず、通貨は3ヶ月しか持たなかった。
1994年のディナール, YUG, 1994
編集5回目の通貨切り下げは、1994年1月1日に行われ、通貨が10億分の1に切り下げられた。この通貨は、ユーゴスラビア・ディナールの中で最も早く下落し、わずか1月で交換された。
ノビ・ディナール, YUM, 1994 - 2003
編集1994年1月24日、ノビ・ディナール(キリル文字:нови динар, нових динара。ノビは「新」の意味)が登場した。これはディナール通貨の切り下げではなかった。ノビ・ディナールはドイツ・マルクと等価で固定された。ノビ・ディナールの登場した日、ドイツ・マルクと1994年のディナールの相場は1 マルク = 1300万ディナールだった。新通貨に固定されていないにもかかわらず、1994年のディナールの相場は下落せず、大体 1YUM = 1200万YUG だった[2]。ちなみに、1990年以前のディナールと比較すると、1 YUM = 1200𥝱 (1.2×1027) YUDである。「ノビ」は2000年に外された。
終焉
編集1999年11月6日、モンテネグロはユーゴスラビア・ディナールに加えてドイツ・マルクも法定通貨だと決定した。2000年11月13日には、ディナールは法定通貨から外れドイツ・マルクが唯一の法定通貨となった。2003年、ユーゴスラビアが消滅し、最後までユーゴスラビア・ディナールを使用していたセルビアがセルビア・ディナール(ユーゴスラビア・ディナールと等価)に切り替え、ユーゴスラビア・ディナールの歴史は幕を閉じた。末期の1ディナールは初期の120,000,000,000,000,000,000,000,000,000ディナール(12穣)。
硬貨
編集1918年のディナール
編集1920年、セルボ・クロアート・スロヴェーヌ王国の名の刻まれた硬貨が初めて発行された。5パラ(亜鉛)、10パラ(亜鉛)、25パラ(ニッケル青銅)硬貨である。1925年には、50パラ(ニッケル青銅)、1ディナール(ニッケル青銅)、2ディナール硬貨(ニッケル青銅)が登場した。1931年からは、硬貨にはユーゴスラビアの名が刻まれ、10ディナール(銀)、20ディナール(銀)硬貨が登場。1932年には、50ディナール(銀)硬貨が登場。
1938年、50パラ(アルミニウム青銅)、1ディナール(アルミニウム青銅)、2ディナール(アルミニウム青銅)と10ディナール(ニッケル)と大きさを小さくした20ディナール、50ディナール銀貨が発行された。これらが、第二次世界大戦前に発行された最後の硬貨である。
1944年のディナール
編集1945年、50パラ、1ディナール、2ディナール、5ディナール硬貨(いずれも亜鉛)が発行された。1953年にはこれらはアルミニウム製に切り替わった。1955年、10、20、50ディナール(アルミニウム青銅)が加わった。
1966年のディナール
編集1966年、5、10、20、50パラ(いずれも黄銅)と、1ディナール(銅ニッケル、1965年付)が発行された。1971年には、2、5ディナール(ニッケル黄銅)が発行され、1976年には10ディナールが銅ニッケル製に変わった。1981年には20パラ以下の硬貨が発行停止され、翌年には25、50パラ(青銅)が発行される。しかし、1985年には10ディナール未満の硬貨が発行停止され、黄銅製の10、20、50、100ディナール硬貨が発行された。これら硬貨は1989年まで発行されていた。
1990年のディナール
編集1990年、10、20、50パラ、1、2、5、ディナール硬貨が発行される。しかし、2、5ディナール以外は1991年に発行停止された。2、5ディナール硬貨についても1992年は少数発行されただけである。
1992年のディナール
編集1992年、1、2、5、10、50ディナールが発行された。5ディナールまでは黄銅、10、50ディナールはニッケル黄銅である。硬貨にはユーゴスラビアと刻まれていた(ラテンアルファベットでJugoslavija、キリル文字でЈугославија)他は、装飾のない酷く簡単なものだった。
1993年のディナール
編集1993年、1、2、5、10、50、100ディナールが発行された。これらは全てニッケル黄銅製である。500ディナール硬貨も鋳造されたが、発行されなかった。これらの硬貨は、"FR Yugoslavia"(ラテンアルファベットでSR Jugoslavija、キリル文字でСР Југославија)と刻まれていた以外、5番目のディナールとよく似ていた。
1994年のディナール
編集超短期間しか用いられなかったこのディナールでは、1ディナール黄銅貨が発行されたのみである。
ノビ・ディナール
編集1994年、1、5パラ(黄銅)と10、50パラ、1ノビ・ディナール(ニッケル黄銅)が発行された。2000年には「ノビ」の字が除去され、新しく50パラ、1、2、5ディナール(黄銅)が発行された。
紙幣
編集1918年のディナール
編集1920年、セルボ・クロアート・スロヴェーヌ王国国立銀行が10、100、1,000ディナール紙幣を発行した。1929年に国名がユーゴスラビアに変更されると、新しい10、100ディナール紙幣が発行された。1000ディナール紙幣は1931年に新しいものに変わり、1935年からは500ディナール紙幣が登場した。
1944年のディナール
編集1944年、ユーゴスラビア社会主義連邦共和国が1、5、10、20、50、500、1,000ディナール紙幣を発行した。1946年、連邦人民共和国国立銀行から50、100、500、1,000ディナール紙幣が新しく発行された。1950年には、5,000ディナール紙幣が登場した。
1966年のディナール
編集1966年(紙幣の日付は1965年)に通貨切り下げが行われ、5、10、50、100ディナール紙幣が発行された。1970年には、500ディナール紙幣が、1974年には20、1000ディナール紙幣が登場した。
1965年-1981年のシリーズ | |||||||
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画像 | 額面 | 大きさ | 色 | 表面 | 裏面 | 初発行年 | |
5 din. | 123 x 59 mm | 緑 | 鎌を持つ女性 | 額面 | 1968年 | ||
10 din. | 131 x 62 mm | 茶 | 労働者(アリフ・ヘラリッチ) | 1968年 | |||
20 din. | 139 x 65 mm | すみれ色 | 波止場 | 1974年 | |||
50 din. | 140 x 66 mm | 青 | 議会にあるイヴァン・メシュトロヴィチによるレリーフ | 1968年 | |||
100 din. | 148 x 70 mm | 赤 | アントゥン・アウグスティンチッチによる、平和のモニュメント(ニューヨーク、国連ビル) | 1965年 | |||
500 din. | 156 x 74 mm | Dark green | フラノ・クルシニッチによるニコラ・テスラの像(ナイアガラの滝州立公園)。背景には、高周波変圧器のコイル。 | 1970年 | |||
1000 dinar | 164 x 78 mm | ダークブルー | 果物を持つ女性 | 1974年 | |||
これら画像のスケールは0.7px/mmである。 |
1985年より新しいシリーズの紙幣が発行され、5,000ディナール(肖像:ヨシップ・ブロズ・チトー)が新たに加わった。インフレーション悪化のため、1987年には2万ディナール紙幣が、1988年には5万ディナール紙幣が、そして1989年には10万、50万、100万、200万ディナール紙幣が登場した。 50万ディナール紙幣と200万ディナール紙幣のみオフセット印刷で透かしが無く、人物ではなく両面共にユーゴスラビア人民解放戦争の記念碑(いわゆるスポメニック)が描かれている[3]。
1985年-1989年のシリーズ | |||||||
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画像 | 額面 | 大きさ | 色 | 表面 | 裏面 | 発行日 | |
5000 din. | 164 x 75 mm | 青紫 | ヨシップ・ブロズ・チトー | ヤイツェ | 1985.9.9 | ||
20,000 din. | 169 x 77 mm | 茶色 | 鉱夫(アリヤ・シロタノヴィッチ) | 掘削機 | 1987.9.1 | ||
50,000 din. | 174 x 80 mm | 緑 | 女性 | ドゥブロヴニク | 1988.9.5 | ||
100,000 din. | 179 x 82 mm | 赤 | 女の子 | 目のドット絵と文字 | 1989.6.1 | ||
500,000 din. | 145 x 75 mm | 青紫 | スポメニック(コザラ) | スポメニック(スティエスカ) | 1989.8.21 | ||
1,000,000 din. | 151 x 72 mm | 黄 | 女性 | コムギの穂 | 1989.11.1 | ||
2,000,000 din. | 145 x 75 mm | 薄茶 | スポメニック(コザラ) | スポメニック(クラグイェヴァツ) | 1989.8.11 | ||
これら画像のスケールは0.7px/mmである。 |
1990年のディナール
編集1990年に通貨切り下げが行われ、10、50、100、200、500、1000ディナール紙幣が発行された。その紙幣のいくつかは、デノミによる混乱を抑えるためかデザインがデノミ前のそれに対応する紙幣と共通している。1月3日発行の50ディナール紙幣と200ディナール紙幣は偽造抵抗力が弱かったことから、発行から半年程度で回収された。1991年には、色味を僅かに変えた一連の紙幣シリーズと5000ディナール紙幣があらたに登場した。このシリーズから同時期に発生したユーゴスラビアの崩壊により、裏面に書かれた国名の「SFR(СФР)」と6つの構成国の表記が廃されている。
1990年のシリーズ | |||||||
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画像 | 額面 | 大きさ | 色 | 表面 | 裏面 | 発行日 | |
10 din. | 139 x 66 mm | 赤 | 女の子 | 目のドット絵と文字 | 1990.11.26 | ||
50 din. | 145 x 75 mm | 青紫 | スポメニック(コザラ) | スポメニック(スティエスカ) | 1990.1.3 | ||
147 x 70 mm | 紫 | 男の子 | バラの花 | 1990.7.10 | |||
100 din. | 151 x 72 mm | 黄色 | 女性 | コムギの穂 | 1990.3.1 | ||
200 din. | 145 x 75 mm | 薄茶 | スポメニック(コザラ) | スポメニック(クラグイェヴァツ) | 1990.1.3 | ||
500din. | 159 x 76 mm | 青 | 男性 | 森 | 1990.4.27 | ||
1000 din. | 163 x 78 mm | 赤茶 | ニコラ・テスラ | テスラコイル | 1991.1.30 | ||
5000 din. | 167 x 80 mm | 赤紫 | イヴォ・アンドリッチ | ソコルル・メフメト・パシャ橋 | 1991.12.25 | ||
これら画像のスケールは0.7px/mmである。 |
1992年のディナール
編集1992年7月1日に通貨切り下げが行われ、100、500、1000、5000ディナール紙幣が発行された。デザインは色味と国章部分(中央銀行のエンブレムに変更されている)こそ異なるもののデノミ前の紙幣のデザインが使い回されている。その後ディナールは戦局悪化によるハイパーインフレーションに陥り、1万、5万、10万、50万、100万、1000万、5000万、1億、5億、10億、100億ディナールという非常に大きな数字を持つ紙幣が新たに発行された。
1992年のシリーズ | ||||||
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画像 | 額面 | 大きさ | 表面 | 裏面 | 発行日 | |
100 din. | 151 x 72 mm | 若い女性 | コムギの穂 | 1992.7.1 | ||
500 din. | 159 x 76 mm | 男性 | 森 | |||
1000 din. | 163 x 78 mm | ニコラ・テスラ | テスラコイル | |||
5000 din. | 167 x 80 mm | イヴォ・アンドリッチ | ソコルル・メフメト・パシャ橋 | |||
10,000 din. | 139 x 66 mm | 女の子 | 目のドット絵 | 1992.12.17 | ||
50,000 din. | 147 x 70 mm | 男の子 | バラの花 | 1993.1.20 | ||
100,000 din. | 151 x 72 mm | 若い女性 | ヒマワリの花 | 1993.4.7 | ||
500,000 din. | 159 x 76 mm | 男性 | コパオニク・スキー場 | 1993.4.26 | ||
1,000,000 din. | 147 x 70 mm | 男の子 | アヤメの花 | 1993.6.24 | ||
5,000,000 din. | 163 x 78 mm | ニコラ・テスラ | テスラコイルとボル郡の水力発電所 | 1993.5.26 | ||
10,000,000 din. | 167 x 80 mm | イヴォ・アンドリッチ | セルビア国立図書館 | 1993.7.29 | ||
50,000,000 din. | 139 x 66 mm | 女の子 | ミシャ・アナスタシェヴィッチの邸宅 | 1993.7.22 | ||
100,000,000 din. | 159 x 76 mm | 男性 | セルビア科学芸術アカデミー | 1993.8.6 | ||
500,000,000 din. | 151 x 72 mm | 若い女性 | ベオグラード大学 | 1993.8.13 | ||
1,000,000,000 din. | 180 x 83 mm | 女の子 | 国会議事堂 | 1993.8.30 | ||
10,000,000,000 din. | 163 x 78 mm | ニコラ・テスラ | テスラコイル | 1993.9.21 | ||
これら画像のスケールは0.7px/mmである。 |
1993年のディナール
編集1993年10月1日、さらに通貨切り下げが行われたもののハイパーインフレーションは収まらず、5000、1万、5万、50万、500万、5000万、5億、50億、500億と最高額面の5000億ディナール紙幣が僅か2ヶ月の間に次々と発行された。ハイパーインフレーションで国が疲弊していた為か、1万ディナールを除いて5ばかりという不思議な組合せとなっている。またこのシリーズから透かしが人物(表面右側)から単純な図形(全面)に変わった。
1993年のシリーズ | ||||||
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画像 | 額面 | 大きさ | 表面 | 裏面 | 発行日 | |
5000 din. | 159 x 76 mm | ニコラ・テスラ | ニコラ・テスラ博物館 | 1993.10.1 | ||
10,000 din. | 163 x 78 mm | ヴク・カラジッチ | トロノシャ修道院とカラジッチの生家 | |||
50,000 din. | 139 x 66 mm | ペータル2世 (モンテネグロの主教公) | ツェティニェ修道院 | 1993.10.14 | ||
500,000 din. | 143 x 68 mm | ドシテイ・オブラードヴィッチ | ノヴォ・ホポヴォ修道院 | 1993.10.30 | ||
5,000,000 din. | 147 x 70 mm | カラジョルジェ | カラジョルジェ教会と邸宅 | 1993.11.12 | ||
50,000,000 din. | 151 x 72 mm | ミカエル・ピューピン | 旧電話交換所 (ベオグラード) | 1993.11.23 | ||
500,000,000 din. | 139 x 66 mm | ヨヴァン・ツヴィイッチ | ミシャ・アナスタシェヴィッチの邸宅 | 1993.12.2 | ||
5,000,000,000 din. | 143 x 68 mm | ジュラ・ヤクシッチ | ヴラチェフシュニツァ修道院 | 1993.12.11 | ||
50,000,000,000 din. | 147 x 70 mm | ミロシュ・オブレノヴィッチ1世 | ミロシュ公邸宅 | 1993.12.15 | ||
500,000,000,000 din. | 151 x 72 mm | ヨヴァン・ヨヴァノヴィチ・ズマイ | セルビア国立図書館 | 1993.12.23 | ||
これら画像のスケールは0.7px/mmである。 |
1994年のディナール
編集1994年1月、通貨切り下げが行われ、10、100、1000、5000、5万、50万、1000万ディナールの紙幣が僅か1週間で次々発行されたが、わずか3週間程度しか流通しなかった。このうちほとんどのデザインが先代のディナールから流用されているばかりか、10、100ディナール紙幣は記番号が欠落しており、1000万ディナール紙幣に至っては1993年7月29日に発行された(つまり先々代の)1000万ディナール紙幣に加刷を施しただけのものとなっているなど、余りにも急速な通貨の暴落に対応するための中央銀行の苦肉の策が垣間見える。
1994年のシリーズ | ||||||
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画像 | 額面 | 大きさ | 表面 | 裏面 | 発行日 | |
10 din. | 116 x 55 mm | ヨシフ・パンチッチ | コパオニク山脈 | 1993.12.29 | ||
100 din. | 135 x 64 mm | ニコラ・テスラ | ニコラ・テスラ博物館 | 1994.1.5 | ||
1000 din. | 139 x 66 mm | ペータル2世 | ツェティニェ修道院 | 1993.12.29 | ||
5000 din. | 143 x 68 mm | ドシテイ・オブラードヴィッチ | ノヴォ・ホポヴォ修道院 | |||
50,000 din. | 147 x 70 mm | カラジョルジェ | カラジョルジェ教会と邸宅 | 1994.1.3 | ||
500,000 din. | 139 x 66 mm | ヨヴァン・ツヴィイッチ | ミシャ・アナスタシェヴィッチの邸宅 | 1994.1.11 | ||
10,000,000 din. | 167 x 80 mm | イヴォ・アンドリッチ | セルビア国立図書館 | 1994.1.14 | ||
これら画像のスケールは0.7px/mmである。 |
ノビ・ディナール
編集1994年1月24日に1、5、10ノビ・ディナール紙幣が発行された。その後1994年8月から1997年にかけて様式を僅かに変更した第二シリーズの5、10、20、50、100ノビ・ディナール紙幣が発行された。第二シリーズでは新たな国章が描かれ、紫外線発光インキやセキュリティスレッドなどハイパーインフレ時に省略された偽造防止技術のいくつかが復活している。
2000年に様式を刷新し「ノビ」が取り除かれた20、50、100ディナール紙幣が発行される。翌2001年には新たに10、200、1000ディナール紙幣が登場。さらに翌2002年には5000ディナール紙幣が登場した。このシリーズより人物の透かしやホログラム、潜像が追加され偽造抵抗力が大幅に増した。
2003年よりこのシリーズのデザインの大部分を受け継いだセルビア・ディナールに徐々に取って代わられ、2007年1月1日に銀行での取り扱いと交換を終了した。
2000年のシリーズ | |||||
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画像 | 額面 | 大きさ | 表面 | 裏面 | 発行日 |
10 din. | 131 x 62 mm | ヴク・カラジッチ | ヴク・カラジッチの肖像(1848年) | 2001.5.31 | |
20 din. | 135 x 64 mm | ペータル2世 | ペータル2世の像とロヴチェン山 | 2000.12.15 | |
50 din. | 139 x 66 mm | シュテファン・モクラーニャッツ | モクラーニャッツの肖像と音符、五線譜 | ||
100 din. | 143 x 68 mm | ニコラ・テスラ | テスラの肖像、誘導電動機の図、鳩のモチーフ | ||
200 din. | 147 x 70 mm | ナデジダ・ペトロヴィッチと像、グラチャニツァ修道院 | ペトロヴィッチの肖像、グラチャニツァ修道院 | 2001.5.31 | |
1000 din. | 151 x 72 mm | ジョルジェ・ヴァイフェルト | ジョルジェ・ヴァイフェルトの肖像と国立銀行ビル | 2001.9.20 | |
5000 din. | 159 x 76 mm | スロボダン・ヨヴァノヴィチ | ヨヴァノヴィチの肖像と国会議事堂 | 2002.8.21 | |
これら画像のスケールは0.7px/mmである。 |
関連項目
編集参考文献
編集- Krause, Chester L.; Clifford Mishler (1991). Standard Catalog of World Coins: 1801–1991 (18th ed.). Krause Publications. ISBN 0873411501。
- Pick, Albert (1994). Standard Catalog of World Paper Money: General Issues. Colin R. Bruce II and Neil Shafer (editors) (7th ed.). Krause Publications. ISBN 0-87341-207-9
- Pick, Albert (1996). Standard Catalog of World Paper Money: General Issues to 1960. Colin R. Bruce II and Neil Shafer (editors) (8th ed.). Krause Publications. ISBN 0-87341-469-1
脚注
編集- ^ Thayer Watkins, Ph.D. 「The Worst Episode of Hyperinflation in History: Yugoslavia 1993-94」。2007年10月14日閲覧。
- ^ Dimitrije Boarov (1996年5月28日). “Time of Fair Money Is Over”. Vreme News Digest Agency. 2007年10月14日閲覧。
- ^ このような異例のデザインになったのは、1979年に紙幣の刷新を計画した際に設計されたが発行に至らなかったデザインを急遽流用した為と考えられている。なお流出した1979年当時の紙幣の草案や試刷紙幣には、表面にコザラの戦い記念碑ではなくヨシップ・ブロズ・チトーの肖像が描かれていた。The British Museum - Unissued 100 Dinara Banknote
外部リンク
編集- Don's World Coin Gallery - Yugoslavia
- Ron Wise's World Paper Money - Yugoslavia Mirror site
- The Global History of Currencies - Serbia
- Global Financial Data data series - Serbia (Yugoslavia) Dinar
- Global Financial Data currency histories table ( Microsoft Excel format)
- The National Bank of Serbia
- http://www.svastara.com/razno/novcanice/
- BBC News: Montenegro drops Yugoslav dinar
- http://www.rogershermansociety.com/yugoslavia.htm
balkanofil.ru/index.php/bills/yugoslavia.html - カタログやギャラリーノートユーゴスラビア
先代 セルビア・ディナール 地域:セルビア 理由:セルボ・クロアート・スロヴェーヌ王国建国 比率:1 KSCSディナール=1 セルビア・ディナール |
セルボ・クロアート・スロヴェーヌ王国の通貨 1918年 – 1929年 |
ユーゴスラビア王国の通貨 1929 – 1941 |
次代 セルビア・ディナール 地域:セルビア(北部と南部の一部を除く) 理由:ドイツに占領されたため 比率:等価 |
次代 クロアチア・クーナ 地域:クロアチア独立国 理由:独立 比率:等価 | |||
次代 イタリア・リラ 地域:モンテネグロ, イタリアの占領地のスロベニア 理由:イタリアによる占領 | |||
先代 ユーゴスラビア・クローネ 地域:ボスニア・ヘルツェゴビナ, クロアチア, スロベニア 理由:以前オーストリア=ハンガリー帝国だった地域はセルボ・クロアート・スロヴェーヌ王国が統合 比率:1 ディナール=4 クローネ |
次代 ドイツ・ライヒスマルク 地域:ドイツの占領地のスロベニア 理由:ドイツに併合 | ||
次代 ハンガリー・ペンゲー 地域:Backa, Medimurje, Prekmurje 理由:ハンガリーに併合 | |||
先代 Montenegrin perper 地域:モンテネグロ 理由:セルボ・クロアート・スロヴェーヌ王国に統合 |
次代 ブルガリア・レフ 地域:東マケドニア 理由:ブルガリアに併合 | ||
次代 アルバニア・レク 地域:コソボと西マケドニア 理由:アルバニアに併合 |
先代 セルビア・ディナール 地域:セルビア(北部と南部の一部を除く) 理由:第二次世界大戦終戦に伴い再統合 比率:1 ユーゴスラビア・ディナール=20 セルビアディナール |
ユーゴスラビア民主主義連邦の通貨 1944年 – 1946年 |
ユーゴスラビア人民連邦共和国の通貨 1946年 – 1963年 |
ユーゴスラビア社会主義連邦共和国の通貨 1963年 – 1965年 |
次代 1966 ディナール 比率:1 ディナール (1966)=100 ディナール (1944) |
先代 クロアチア・クーナ 地域:クロアチア独立国 理由:第二次世界大戦終戦に伴い再統合 比率:1 ディナール =40 kuna | ||||
先代 イタリア・リラ 地域:モンテネグロ 理由:ユーゴスラビアに再統合 | ||||
先代 ドイツ・ライヒスマルク 地域:スロベニア 理由:ユーゴスラビアに再統合 | ||||
先代 ハンガリー・ペンゲー 地域:Backa, Medimurje, Prekmurje 理由:ユーゴスラビアに再統合 | ||||
先代 ブルガリア・レフ 地域:東マケドニア 理由:ユーゴスラビアに再統合 | ||||
先代 アルバニア・レク 地域:コソボと西マケドニア 理由:第二次世界大戦終戦に伴い再統合、アルバニアによる占領が終了 |
先代 1944 ディナール 比率:1 ディナール (1966)=100 ディナール (1944) |
ユーゴスラビア社会主義連邦共和国の通貨 1966年 – 1990年 |
次代 1990 ディナール 比率:1 ディナール (1990)=10,000 ディナール (1966), 7 ディナール (1990)=1 ドイツ・マルク |
先代 1966 ディナール 比率:1 ディナール (1990)=10,000 ディナール (1966), 7 ディナール (1990)=1 ドイツ・マルク |
ユーゴスラビア社会主義連邦共和国の通貨 1990年 – 1991年と1992年 Note:独立の日付と独立した通貨の流通開始にばらつきがある。 |
次代 1992 ディナール 地域:ユーゴスラビア連邦共和国 (セルビア・モンテネグロ) 比率:1 ディナール (1992)=10 ディナール (1990) 備考:July, 1992 |
次代 ボスニア・ヘルツェゴビナ・ディナール 地域:ボスニア・ヘルツェゴビナ (スルプスカ共和国を除く) 理由:独立 比率:1 ボスニア・ヘルツェゴビナ・ディナール=10 ディナール (1990) 備考:independence in March, 1992, new currency in July, 1992 | ||
次代 スルプスカ・ディナール 地域:スルプスカ共和国 (ボスニアの一部) 比率:1 スルプスカ・ディナール=10 ディナール (1990) 備考:1991年に独立 新通貨は1992年7月から new currency on July, 1992, and remained at par with Yugoslav dinar | ||
次代 クロアチア・ディナール 地域:クロアチア(クライナ・セルビア人共和国を除く) 比率:等価 備考:1991年6月25日に独立 new currency on December 23, 1991 | ||
次代 クライナ・ディナール 地域:クライナ・セルビア人共和国 (クロアチアの一部として) 比率:1 クライナ・ディナール=10 ディナール (1990) 備考:1991年12月19日に独立 new currency on July, 1992, and remained at par with Yugoslav dinar | ||
次代 マケドニア・デナール 地域:マケドニア 比率:等価 備考:1991年9月8日に独立 新通貨は1992年4月26日から | ||
次代 スロベニア・トラール 地域:スロベニア 比率:等価 備考:1991年6月25日に独立 新通貨は1992年10月8日から |
先代 1990 ディナール 比率:1 ディナール (1992)=10 ディナール (1990) |
ユーゴスラビア連邦共和国の通貨 1992年7月 – 1993年9月30日 |
次代 1993 ディナール 比率:1 ディナール (1993)=1,000,000 ディナール (1992) |
先代 1992 ディナール 比率:1 ディナール (1993)=1,000,000 ディナール (1992) |
ユーゴスラビア連邦共和国の通貨 1993年10月1日 – 1993年12月31日 |
次代 1994 ディナール 比率:1 ディナール (1994)=1,000,000,000 ディナール (1993) |
先代 1993 ディナール 比率:1 ディナール (1994)=1,000,000,000 ディナール (1993) |
ユーゴスラビア連邦共和国とスルプスカ共和国の通貨 1994年1月1日 – 1994年1月23日 |
次代 ノビ・ディナール 比率:1 ノビ・ディナール=1 ドイツ・マルク=12,000,000 ディナール (1994) |
先代 1993年のスルプスカ・ディナール 比率:1 ディナール (1994)=1,000,000,000 ディナール (1993) |
先代 1994 ディナール 比率:1 ノビ・ディナール=1 ドイツ・マルク=12,000,000 ディナール (1994) |
セルビア(コソボ以外)(ユーゴスラビア連邦共和国の一部として)の通貨 1994年1月24日 – 2003年7月2日 |
次代 セルビア・ディナール 理由:セルビア・モンテネグロに名称変更のため (2003年2月4日) 比率:等価 |
モンテネグロ (ユーゴスラビアの一部として), コソボ (セルビアの一部として)の通貨 1994年1月24日 – 1999年 |
次代 ドイツ・マルク 理由:政治的、経済的理由 | |
スルプスカ共和国の通貨 1994年1月24日 – 1998年 |
次代 兌換マルク 理由:デイトン合意 |