モンテ・キフィン
モンテ・キフィン(Monte Kiffin、1940年2月29日 - 2024年7月11日)は、アメリカ合衆国ネブラスカ州レキシントン出身のアメリカンフットボール指導者。優れたディフェンスコーディネーターとして知られており[1]、NFL史上でも優れたディフェンスコーディネーターとして知られている[2]。彼が考案したタンパカバー2と呼ばれるディフェンスはNFLやカレッジフットボールに大きな影響を与えた[3]。
モンテ・キフィン Monte Kiffin | |
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生年月日 | 1940年2月29日 |
生誕地 | アメリカ合衆国 ネブラスカ州レキシントン |
没年月日 | 2024年7月11日(84歳没) |
死没地 | アメリカ合衆国 ミシシッピ州オックスフォード |
ポジション | オフェンスラインマン、ディフェンスラインマン |
大学 | ネブラスカ大学 |
所属チーム(選手) | |
1965 | ウィニペグ・ブルーボマーズ(CFL) |
所属チーム(コーチ/管理職) | |
1966-1976 1977-1979 1980-1982 1983 1984-1985 1986-1989 1990 1991-1994 1995 1996-2008 2009 2010- |
ネブラスカ大学 アーカンソー大学 ノースカロライナ州立大学 (HC) グリーンベイ・パッカーズ バッファロー・ビルズ ミネソタ・バイキングス ニューヨーク・ジェッツ ミネソタ・バイキングス ニューオーリンズ・セインツ タンパベイ・バッカニアーズ テネシー大学 USC |
経歴
編集1959年から1963年まで彼はネブラスカ大学でオフェンスタックル及びディフェンスタックルとしてプレーした。1965年にはCFLのウィニペグ・ブルーボマーズでディフェンスタックルとしてプレーした。翌1966年にネブラスカ大学にアシスタントコーチとして帰ってきた彼は1977年にアーカンソー大学に移った。そして1980年にノースカロライナ州立大学のヘッドコーチに就任した。彼の長いコーチ歴の中でヘッドコーチを務めたのは1980年から1982年までのノースカロライナ州立大学のみである。1982年までの3年間で16勝17敗の成績を残し、1983年からはNFLのグリーンベイ・パッカーズ、バッファロー・ビルズ、ミネソタ・バイキングス、ニューヨーク・ジェッツ、ニューオーリンズ・セインツなどでのアシスタントコーチを経て1996年にタンパベイ・バッカニアーズのディフェンスコーディネーターに就任した[4]。2001年シーズンを最後にトニー・ダンジーヘッドコーチがチームを去った後、ジョン・グルーデン新ヘッドコーチの下でもディフェンスコーディネーターを務め第37回スーパーボウルで最優秀攻撃選手に選ばれたQBリッチ・ギャノン率いるシーズン1位のオフェンス力を持つオークランド・レイダースに対して効果的なディフェンスで対応しチームのスーパーボウル制覇に大きく貢献した[5]。2008年シーズン終盤、その年オークランド・レイダースのヘッドコーチを解任された息子のレーン・キフィンがテネシー大学ヘッドコーチに就任することが決まり彼がチームを離れテネシー大学に行くのではといった噂が流れた[6]。9勝3敗だったチームは最後の4試合を連敗し9勝7敗に終わりチームはプレーオフ出場を逃した。
NFLのコーチとして26年間、そのうち13年間タンパベイ・バッカニアーズのディフェンスコーディネーターを務めた彼は2009年、テネシー大学で息子のレーン・キフィンの下でディフェンスコーディネーターを務めた[7]。彼の指導したディフェンスはNFLのベスト10に10回入っている[1][6][8]年俸120万ドルとアシスタントコーチとしてはカレッジフットボール最高の契約を結んでいる[7]。バッカニアーズ時代には年俸200万ドルを受け取っていた[2][6]。2010年よりピート・キャロルの後任としてUSCヘッドコーチとなった息子と共にUSCに移りディフェンスコーディネーターをしている。
守備哲学
編集彼の考案したタンパ2はトニー・ダンジーのカバー2を改良したものである。彼はスピードのある選手の起用を重視ししばしばラインバッカーにディフェンスバックの選手をディフェンスラインにラインバッカーの選手をプレーさせた。またサイズが大きいけれども素早い動きのできるディフェンスラインマンを起用してランストップを行わせた。相手のオフェンスにヤードを稼がせないことよりも得点されないことを重視した。ボールキャリアからボールを奪うプレーやインターセプトによるターンオーバーを増やすことを重視した。
脚注
編集- ^ a b Cummings, Roy (2008年12月14日). “Kiffin Confirms He's Leaving Bucs For Tennessee”. タンパ・トリュビューン
- ^ a b Mullen, Bryan (2008年12月15日). “Kiffin's dad enjoys sterling reputation”. The Tennessean[リンク切れ]
- ^ Shelton, Gary (2008年12月28日). “Tampa Bay Buccaneers defensive coordinator Monte Kiffin is worthy of fame”. セントピーターズバーグ・タイムズ
- ^ “Player Bio”. テネシー大学. 2009年12月30日閲覧。
- ^ ビル・マークレビッツ. “"グルーデンは高くなかった"”. NFL JAPAN. 2010年7月25日閲覧。
- ^ a b c バッカニアーズの名守備コーディネイター、来季は息子とタッグ? NFL JAPAN 2008年12月3日
- ^ a b ESPN.com: Kiffin named Vols coach after school's first national search
- ^ バッカニアーズの名守備コーディネーター退任、来季は息子と NFL JAPAN 2008年12月16日
- ^ “Former NFL defensive coordinator Monte Kiffin has died” (英語). NBC Sports (2024年7月11日). 2024年7月12日閲覧。
外部リンク
編集- Official biography at Buccaneers.com
- For former Tampa Bay Buccaneers defensive coordinator Monte Kiffin, it's still game on
先代 フロイド・ピーターズ |
ミネソタ・バイキングス ディフェンスコーディネーター 1991年 |
次代 トニー・ダンジー |
先代 スティーブ・シドウェル |
ニューオーリンズ・セインツ ディフェンスコーディネーター 1995年 |
次代 ジム・ハスレット |
先代 ラスティ・ティルマン |
タンパベイ・バッカニアーズ ディフェンスコーディネーター 1996年–2008年 |
次代 ジム・ベイツ |