モンテ・アルジェンターリオ
モンテ・アルジェンターリオ(伊: Monte Argentario)は、イタリア共和国トスカーナ州グロッセート県にある、人口約12,000人の基礎自治体(コムーネ)。
モンテ・アルジェンターリオ Monte Argentario | |
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ポルト・サント・ステーファノ | |
行政 | |
国 | イタリア |
州 | トスカーナ |
県/大都市 | グロッセート |
CAP(郵便番号) | 58019 |
市外局番 | 0564 |
ISTATコード | 053016 |
識別コード | F437 |
分離集落 | #分離集落参照 |
隣接コムーネ | #隣接コムーネ参照 |
公式サイト | リンク |
人口 | |
人口 | 11793 人 (2024-01-01 [1]) |
人口密度 | 195.6 人/km2 |
文化 | |
住民の呼称 | argentarini |
守護聖人 |
エラスムス(Sant'Erasmo)、 聖ステーファノ (santo Stefano) |
祝祭日 | 6月2日 |
地理 | |
座標 | 北緯42度26分07秒 東経11度07分00秒 / 北緯42.43528度 東経11.11667度座標: 北緯42度26分07秒 東経11度07分00秒 / 北緯42.43528度 東経11.11667度 |
標高 | 5 (0 - 635)[2] m |
面積 | 60.29 [3] km2 |
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ポータル イタリア |
地理
編集位置
編集グロッセート県南部に位置し、ティレニア海に面する。県都グロッセートの南約40km、州都フィレンツェの南約150km、首都ローマの西北西約124kmに位置する。[4]
沖合にはトスカーナ群島のジリオ島やジャンヌートリ島が浮かんでいる。
隣接コムーネ
編集隣接するコムーネは以下の通り。
地勢
編集ティレニア海に向かって突き出した半島上に位置する。この半島は、アルベーニャ川 (Albegna) と海流の作用によって本土と結ばれた陸繋島で、かつての島の部分はプロモントリオ・デッラルジェンターリオ (it:Promontorio dell'Argentario) (アルジェンタリオ岬)と呼ばれている。
本土側からは3本の砂州が伸びており、このうち西北側(Giannella砂州)と東南側(Feniglia砂州)の2本によってプロモントリオと本土が結ばれている。砂州に囲まれた潟湖(ラグーナ)・オルベテッロ潟 (Laguna di Orbetello) は、中央の砂州(オルベテッロの本村がこの上に位置する)と堤防によって2つに分けられており、西側の潟湖を Laguna di Ponente、東側の潟湖を Laguna di Levante と言う。
プロモントリオは山がちであり、最高峰は Punta Telegrafo (635 m)。岩石海岸で、多くの入り江や小さな港がある。
気候分類・地震分類
編集モンテ・アルジェンターリオにおけるイタリアの気候分類 (it) および度日は、zona C, 1399 GGである[5]。 また、イタリアの地震リスク階級 (it) では、zona 4 (sismicità molto bassa) に分類される[6]。
行政
編集分離集落
編集モンテ・アルジェンターリオには、プロモントリオのやや東南寄りに、北西部にポルト・サント・ステーファノ (Porto Santo Stefano) 、南東部にポルト・エルコーレ (it:Porto Ercole) の二つの分離集落(フラツィオーネ)がある。コムーネの役所はポルト・サント・ステファノに置かれている。
歴史
編集古代
編集プロモントリオにはエトルリア人が居住していたと考えられているが、ポエニ戦争に際してローマ共和国に多額の資金を貸し付けた Domitii Aenobarbi 家が、その代償としてこの地を私領として得た。現在の地名に残る Arganterii は、古代ローマにおける貸し手の名前に由来すると考えられている。
4世紀、コンスタンティヌス1世によってこの土地は教会に寄進された。
中世・近世
編集中世にはアウレリア街道が衰微し、この地域の住民もまばらになった。プロモントリオはオルベテッロとともに、アルドブランデスキ家 (Aldobrandeschi family) 、オルシーニ家、ナポリ王ラディズラーオ1世、シエーナの所領へと移り、16世紀の終わりまでスペイン領となった。スペイン人たちは、ポルト・サント・ステーファノとポルト・エルコーレの二つの港を要塞化し、プレシディ領 (State of Presidi) の拠点とした。
ポルト・エルコーレは画家カラヴァッジオ(1571年 - 1610年)の終焉の地とされる。
1646年には、西仏戦争中の戦闘であるオルベテッロの戦い (Battle of Orbetello) が、オルベテッロ潟周囲で行われた。
近代・現代
編集ナポレオンの敗北後、1715年にトスカーナ大公国領となり、以後1860年のイタリア統一までその支配下にあった。
第二次世界大戦中、モンテ・アルジェンターリオは激しい爆撃を受け、住民も多く犠牲になった。サント・ステーファノの港は破壊され、1950年代になってようやく再建された。しかし、オルテベッロとの間を結んでいた鉄道が再建されることはなかった。
社会
編集人口
編集人口推移
編集文化・観光
編集分離集落Porto Ercoleは、「イタリアの最も美しい村」クラブの加盟メンバーである。
交通
編集道路
編集- 国道
鉄道
編集かつて、ポルト・サント・ステーファノとポルト・エルコーレ、オルベテッロとを結び、オルベテッロでピサ=リヴォルノ=ローマ線に接続する鉄道路線 (it:Ferrovia Orbetello-Porto Santo Stefano) があったが、第二次世界大戦で破壊され、その後再建されなかった。オルベテッロの駅は、オルベテッロ=モンテ・アルジェンタリーオ駅 (it:Stazione di Orbetello-Monte Argentario) と称している。
脚注
編集- ^ “Popolazione residente per sesso, età e stato civile al 1° gennaio 2024” (イタリア語). 国立統計研究所(ISTAT). 2024年5月20日閲覧。メニューでVista per singola areaを選択。Anno:2024, Ripartizione:Centro, Regione:Toscana, Provincia:Grosseto, Comune:Monte Argentario を選択
- ^ 国立統計研究所(ISTAT). “Tavola: Popolazione residente - Grosseto (dettaglio loc. abitate) - Censimento 2001.” (イタリア語). 2013年3月30日閲覧。
- ^ 国立統計研究所(ISTAT). “Tavola: Superficie territoriale (Kmq) - Grosseto (dettaglio comunale) - Censimento 2001.” (イタリア語). 2013年3月30日閲覧。
- ^ “地図上で2地点の方角・方位、距離を調べる”. 2018年9月6日閲覧。
- ^ “Tabella dei gradi/giorno dei Comuni italiani raggruppati per Regione e Provincia”. 新技術エネルギー環境局(ENEA) (2011年3月1日). 2017年1月1日時点のオリジナルよりアーカイブ。2020年9月20日閲覧。
- ^ “classificazione sismica aggiornata al aprile 2023” (xls). https://rischi.protezionecivile.gov.it/it/sismico/attivita/classificazione-sismica/. イタリア市民保護局. 2023年12月16日閲覧。