モンゴル人民党
モンゴル人民党(モンゴルじんみんとう、モンゴル語: Монгол Ардын Нам: Mongol Ardyn Nam,ᠮᠣᠩᠭᠣᠯ ᠠᠷᠠᠳ ᠤᠨ ᠨᠠᠮ, 英語: Mongolian People's Party)は、モンゴル国の政党。略称はМАНだが、英語名のイニシャルをとってMPPとも略される。
モンゴル人民党 Монгол Ардын Нам | |
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党首 | ロブサンナムスライ・オユーンエルデネ |
成立年月日 | 1921年3月1日 |
本部所在地 | ウランバートル |
国家大会議 |
68 / 126 (54%) |
党員・党友数 |
287,283 (2023年) |
政治的思想・立場 |
中道左派 社会民主主義 左翼ナショナリズム (1991年までは極左、共産主義、マルクス・レーニン主義) |
機関紙 | Mongolyn Ünen |
党旗 | |
公式カラー | 赤 |
国際組織 |
社会主義インターナショナル[1] 進歩同盟[2] |
公式サイト | MPP official site |
概要
編集1918年から1919年頃に形成されたドグソミーン・ボドー、ダムビン・チャグダルジャヴ、ホルローギーン・チョイバルサン、ダリザビーン・ロソルを中心とする「領事館の丘」グループと、ダムディン・スフバートルやソリーン・ダンザン、ダンスランビレギイン・ドグソムらを中心とする「東庫倫」グループが1920年春に合体しモンゴル人民党を結成したものが前身。1921年の革命をリードする。1924年、モンゴル人民革命党(モンゴル語: Монгол Ардын Хувьсгалт Нам: Mongol Ardyn Khuvsgalt Nam)と改称し、人民共和国時代の一党独裁政党でコミンテルンの一員として共産主義とソ連型社会主義を標榜、徹底したソ連追従政策を推し進めた。
しかし1986年にバトムンフが社会主義の範囲での改革に着手。1990年に一党独裁を放棄し、社会民主主義を掲げる中道左派政党へと衣替えした。
2003年には社会民主主義政党の国際団体である社会主義インターナショナルに加盟している。もっとも、加盟に際しては、党名から「革命」の語を削除していないことが問題視された。
2008年7月、前月に行われた選挙が不正であるとして、民主党の支持者が抗議、一部は暴徒化し、投石・放火で本部が全焼した。現在、建て替えを行っており、2011年に新建物が竣工予定。
2010年11月5日に党名から「革命」の語を削除して旧名に戻ったが、執行部に反発した前大統領のナンバリーン・エンフバヤルらが人民革命党の名を掲げ分裂。
2024年モンゴル議会総選挙では、過半数となる68議席を獲得。
支持基盤
編集支持基盤は、主に牧村部である。
脚注
編集- ^ “SI Member Parties in Government”. www.socialistinternational.org. Socialist International (18 March 2019). 9 June 2019閲覧。
- ^ “Participants - Progressive Alliance”. progressive-alliance.info. February 14, 2017閲覧。