モフセン・レザーイー・ミールガーエド英語: Mohsen Rezaee Mirgha'edペルシア語: محسن رضایی میرقائد‎、 1954年9月9日 - )は、イラン政治家経済学者・元イスラム革命防衛隊司令官である。現在は公益判別会議書記を務めている。イランにおいては少数民族であるアラブ人に属する。

モフセン・レザーイー・ミールガーエド
ペルシア語: محسن رضایی میرقائد
生年月日 1954年9月9日
出生地 イランの旗 イランフーゼスターン州
マスジェデ・ソレイマーン
出身校 イラン科学技術大学
テヘラン大学
前職 イスラム革命防衛隊司令官
現職 公益判別会議書記

公益判別会議書記
当選回数 3
在任期間 2007年2月27日 -

在任期間 2021年8月25日 - 2023年6月11日
元首 エブラヒム・ライシ
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2009年イラン大統領選挙では保守派として出馬した。

経歴

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1954年9月、イランフーゼスターン州マスジェデ・ソレイマーンに生まれる。その後、名門イラン科学技術大学に入学、機械工学を専攻する。イラン・イラク戦争後、首都テヘランにあるテヘラン大学に入学し、経済学の博士号を取得した。

1981年には27歳にしてイスラム革命防衛隊(AGIR)司令官となり、1997年まで指揮官を歴任した。同年には公益判別会議評議員となった。その後書記を務めている。

モフセンはテヘランにイマームホセイン大学を設立し、教授として授業を行っている。

2013年のイラン大統領選挙に独立系として立候補したが、388万4412票で4位に終わり落選した[1]

2021年のイラン大統領選挙ペルシア語版英語版に立候補して、護憲評議会による審査で出馬を承認された7名の大統領候補のうちの一人となった[2]。2021年6月18日に投票が行われ、集計の結果、開票された2893万3004票のうちレザーイーが約11.79%に相当する341万2712票を獲得して2位となったが、エブラーヒーム・ライースィー候補が有効投票の過半数となる1792万6345票を獲得したため、決選投票にはもつれ込まず1回目の投票でレザーイーの落選が確定した[3]

AMIA爆破事件への関与

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1994年7月18日アルゼンチンブエノスアイレスで起きたイスラエル人相互協会(AMIA)での爆破事件の関与が疑われており、事件の犯人はいまだに見つかっていない。

2006年11月、アルゼンチン側はAMIA爆破事件に関与したとしてイラン人・レバノン人計6名の国際逮捕状を発行している。ユダヤ系人への爆破テロは1992年にも起きており、連続爆破事件の疑いが強いとされている。

目撃証言としては、モフセンの息子がアルゼンチンに滞在しており、実行犯とみられるレバノン人と同伴していたとの証言がある。また、ユダヤ人への爆破テロはイラン首都テヘランで計画されており、イラン当局が把握していた。

私生活

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モフセンの父親の名はナジャフと言い、モフセン自身は現在5人の子供、2人の息子、3人の娘の父となっている。モフセンの息子・アフマドは、2011年11月、ドバイのホテルで死亡しているのが発見された。自殺とみられている[4]

モフセンはアメリカ合衆国及びヨーロッパ連合加入国への入国が制限されている。

脚注

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関連項目

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外部リンク

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