モハンマド・アリー・ラジャーイー
イラン大統領、首相
モハンマド・アリー・ラジャーイー(ペルシア語: محمدعلی رجایی; Moḥammad-‘Alī Rajāī; 1933年7月15日 - 1981年8月30日)は、イランの政治家。イラン革命後二代目の大統領を務めた。また首相を務めた事もあり、首相在任時に外務大臣を兼任した。日本のメディアにおける旧表記はラジャイ。
モハンマド・アリー・ラジャーイー محمدعلی رجایی | |
1981年のラジャーイー大統領
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任期 | 1981年8月2日 – 1981年8月30日 |
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元首 | ルーホッラー・ホメイニー最高指導者 |
任期 | 1980年8月12日 – 1981年8月4日 |
元首 | アボルハサン・バニーサドル大統領 |
任期 | 1981年3月11日 – 1981年8月15日 |
出生 | 1933年7月15日 イラン ガズヴィーン |
死去 | 1981年8月30日(48歳没) イラン テヘラン |
政党 | イスラーム共和党 |
経歴
編集ラジャーイーは1933年、ガズヴィーンに生まれた。1959年、タルビヤト・モアッレム大学から教育学の学位を得て卒業した [1]。
イラン・イスラーム革命の強力な支持者であり、イラン諸大学における欧米の影響力排除の運動指導者であった。この活動はのちにイスラーム文化革命と称されることになる。さらにイランにおける70歳定年制導入の運動を始めた。
暗殺
編集1981年8月30日、ラジャーイー大統領はモハンマド・ジャヴァード・バーホナル首相とともにイラン防衛最高評議会に出席。目撃者がのちに語ったところによると、信頼する補佐官がブリーフケースを会議室に持ち込み、大統領と首相のあいだに置いて立ち去った。別の人物がそれを開くと、それが引き金となり爆発。部屋は炎上し、ラジャーイー、バーホナルほか3人が殺害された[1]。犯行は反体制武装組織であるムジャヒディン・ハルクによって実行された。
大統領在職期間は16日であった。
出典
編集- ^ Facts on File (1982) (英語). Facts on File Yearbook 1981. Facts On File Inc.. ISBN 9780871960405
公職 | ||
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先代 アボルハサン・バニーサドル |
イラン・イスラーム共和国大統領 第2代:1981 |
次代 アリー・ハーメネイー |
先代 メフディー・バーザルガーン (暫定) |
イラン・イスラーム共和国首相 1980 - 1981 |
次代 モハンマド・ジャヴァード・バーホナル |
先代 モハンマド・キャリーム・ホダーパナヒー |
イラン・イスラーム共和国外務大臣 1981 |
次代 ミールホセイン・ムーサヴィー |