モナコ=ヴィル
モナコ=ヴィル (フランス語: Monaco-Ville、モナコ語: Munegu-Vila)は、モナコの地区。公国最古の地区であり、一般的には『モナコ岩』(Rocher de Monaco)として知られている。
モナコ=ヴィル Monaco-Ville | |
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位置 | |
モナコ=ヴィル地区の領域 | |
行政 | |
国 | モナコ |
カルティエ | モナコ=ヴィル |
下位行政区画 | モナコ=ヴィル区 |
地区 | モナコ=ヴィル |
地理 | |
面積 | |
地区域 | 0.196491 km2 |
人口 | |
人口 | (2008年現在) |
地区域 | 975人 |
人口密度 | 4.962人/km2 |
概要
編集国の政治機関の中枢が集まる。大公宮殿、政府、国民議会、市議会、裁判所および刑務所がある。
歴史
編集この地には、マッサリア(現在のマルセイユ)からやってきたフェニキア人たちが紀元前6世紀にMonoïkosという植民地を築いていた。Monoïkosはヘーラクレースと関連付けられ、Hercules Monoecusとして崇拝された。ヘーラクレースの偉業によると、またシケリアのディオドロスとストラボンによると、ギリシャ人とリグリア人はヘーラクレースがこの地に渡ったと伝えた。
1215年6月10日、フルコ・デル・カッセッロに率いられた、撤退するギベリンたちが、モナコ岩の上に要塞の建設を始めた。岩を戦略的要所として地域の支配権を確立するためである。彼らはまた、守備隊を支えるため岩の基地に住宅を建てた。ジェノヴァ共和国や周辺の町の住民たちをひきつけるため、彼らは土地を提供し、新規移住者への課税を免除した。
1297年1月8日、1133年にジェノヴァ共和国のコンスルであったオットー・カネッラの子孫フランソワ・グリマルディが、要塞を掌握した。小規模な軍隊しか持たなかったにもかかわらず、グリマルディはフランシスコ会修道士の扮装をし、兵士をだまして扉を開かせた。このエピソードから、彼のニックネームであるMalizia(悪者)がつけられた。このため、現在のモナコ軍の紋章には、剣で武装した2人のフランシスコ会修道士が描かれているのである。
1911年に公布されたモナコ憲法は、公国を3つのコミューンに分割した。このときモナコ=ヴィルはコミューンとなったが、1917年に公国全体で単一のコミューンとして再編された。
対外関係
編集姉妹都市・提携都市
編集ギャラリー
編集-
大公宮殿
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ノートル・ダム・イマキュレ大聖堂
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国民議会
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裁判所
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国務省
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リセ・アルベール・プルミエ
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古い通り