メイフラワー (競走用ヨット)
メイフラワー (Mayflower) は、1886年の第6回アメリカズカップで、イギリス(スコットランド)のガラテアを破って優勝したアメリカ合衆国のヨット[1]。
メイフラワー Mayflower | |
---|---|
1880年代後半のメイフラワー。 | |
基本情報 | |
船種 |
スループ →スクーナー |
船籍 | アメリカ合衆国 |
所有者 |
チャールズ・ジャクソン・ペイン →F・タウンゼント・アンダーヒル →レディ・エヴァ・バーカー |
建造所 |
ジョージ・ローリー&サン (設計:エドワード・バージェス) |
母港 | ニューヨーク |
経歴 | |
進水 | 1886年 |
処女航海 | 1886年 |
終航 | 1908年 |
最後 | 1908年、沈没(キューバ沖) |
要目 | |
トン数 | 110トン |
長さ |
30.55 m (100.2 ft) (LOA) 26.06 m (85.5 ft) (LWL) |
幅 | 7.19 m (23.6 ft) |
喫水 |
3.00 m (9.84 ft)(centerboard up) 6.10 m (20.0 ft)(centerboard down) |
機関方式 | 1905年に1基設置 |
その他 | 帆面積:774 m2 (8,330 sq ft) |
1886年、第6回アメリカズカップ優勝艇 (スキッパー:マーティン・V・B・ストーン) |
設計
編集スループであるメイフラワーは、エドワード・バージェスが設計した2艇目のアメリカズカップ優勝艇であった。ジョージ・ローリー&サンが建造して1886年に進水し、ボストンのチャールズ・ジャクソン・ペインの所有艇となった。全面的に木造であり、オークと堅い松が用いられている。スキッパー(船長)は、マーティン・V・B・ストーン (Martin V.B. Stone) であった。
経歴
編集メイフラワーは予選で、優勝経験もあったバージェスの設計艇ピューリタンや、プリシラ (Priscilla)、アトランティック (Atlantic) を破り、1886年のアメリカズカップに臨んだ。
その後、1889年に、F・タウンゼント・アンダーヒル (F. Townsend Underhill) がこの艇を買い、スクーナーに改造した。1905年には、レディ・エヴァ・バーカー (Lady Eva Barker) がこの船を買い、エンジンを据え付けた。彼女は1908年に、かつてジャマイカ沖で沈没したスペインのガレオン船の財宝を探そうとしていた冒険家ガイ・ハミルトン・スカル (Guy Hamilton Scull) にこの船を貸与した。この遠征の最中、メイフラワーはキューバ沖でハリケーンに遭遇して沈没し、乗組員は通りかかった複数の汽船に救助された。
脚注
編集- ^ “Yacht MAYFLOWER Defending the Americas Cup”. Vallejo Gallery. 2015年12月16日閲覧。