メイヤー・アムシェル・ド・ロスチャイルド
(メイアー・アムシェル・ドゥ・ロスチャイルドから転送)
メイヤー・アムシェル・ド・ロスチャイルド男爵(英語: Baron Mayer Amschel de Rothschild、1818年6月29日 - 1874年2月6日)は、イギリスの政治家、馬主。英国ロスチャイルド家の庶流の一人。
メイヤー・アムシェル・ド・ロスチャイルド Mayer Amschel de Rothschild | |
---|---|
| |
生年月日 | 1818年6月29日 |
出生地 | イギリス、イングランド・ロンドン |
没年月日 | 1874年2月6日(55歳没) |
出身校 | ケンブリッジ大学トリニティ・カレッジ |
所属政党 | 自由党 |
称号 | 男爵(オーストリア) |
親族 |
ライオネル(兄) 初代ロスチャイルド男爵(甥) ファーディナンド(甥) |
庶民院議員 | |
選挙区 | ハイス選挙区[1] |
在任期間 | 1859年2月15日 - 1874年1月31日[1] |
経歴
編集1818年6月29日に英国ロスチャイルド家の祖ネイサン・メイヤー・ロスチャイルドの四男としてロンドンに生まれる。母はハンナ・コーエン[2]。ケンブリッジ大学トリニティ・カレッジを卒業[2]。
1859年から1874年までハイス選挙区選出の庶民院議員を務める[2]。バッキンガムシャー州長官、バッキンガムシャーの治安判事や副統監も務める[2]。
競走馬の飼育に熱心であり、1871年には5つのクラシックのうち4つ(ダービー・セントレジャー・オークス・1000ギニー)までを「ハンナ」と「ファヴォニウス」で制している[3]。特にダービーにおいて優勝を手にしたのはこの時が初めてだった。メイヤーの種馬飼育場は彼の死後、甥のレオポルドに相続されており、レオポルドも二度ダービーで優勝を手にすることになる[4]。
家族
編集1850年に従兄妹にあたるジュリアナ・コーエン(Juliana Cohen)と結婚し、彼女との間に一人娘のハンナ(1851年-1890年)を儲けた。彼女は1878年に第5代ローズベリー伯爵(後の首相)と結婚した[5][2]。
脚注
編集出典
編集- ^ a b UK Parliament. “Baron Mayer de Rothschild” (英語). HANSARD 1803–2005. 2014年5月17日閲覧。
- ^ a b c d e "Rothschild, Mayer Amschel (RTST837MA)". A Cambridge Alumni Database (英語). University of Cambridge.
- ^ ロングリグ(1976) p.131
- ^ モートン(1975) p.131/161
- ^ a b Lundy, Darryl. “Lionel Nathan de Rothschild” (英語). thepeerage.com. 2013年11月30日閲覧。
参考文献
編集- フレデリック・モートン『ロスチャイルド王国』高原富保訳、新潮社〈新潮選書〉、1975年(昭和50年)。ISBN 978-4106001758。
- ロジャー・ロングリグ 著、原田俊治 訳『競馬の世界史』日本中央競馬会弘済会、1976年(昭和51年)。ASIN B000J9355O。
外部リンク
編集- Hansard 1803–2005: contributions in Parliament by Baron Mayer de Rothschild
グレートブリテンおよびアイルランド連合王国議会 | ||
---|---|---|
先代 サー・ジョン・ラムスデン准男爵 |
ハイス選挙区選出庶民院議員 1859年–1874年 |
次代 サー・エドワード・ウィリアム・ワトキン |
名誉職 | ||
先代 サー・ウィリアム・クライトン准男爵 |
バッキンガムシャー州長官 1847年 |
次代 ウィリアム・ロウンデス |