メアリー・ハリソン・マッキー
メアリー・ハリソン・マッキー(Mary Scott Harrison McKee、1858年4月3日 – 1930年10月28日)は、第23代アメリカ合衆国大統領ベンジャミン・ハリソンの娘で、大統領夫人である母キャロラインが重態に陥って死去した後、代理としてアメリカ合衆国のファーストレディを務めた女性である。
メアリー・スコット・ハリソン・マッキー | |
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任期 | 1892年10月25日 - 1893年3月4日 |
先代 | キャロライン・ハリソン |
次代 | フランシス・クリーブランド |
個人情報 | |
生年月日 | 1858年4月3日 |
出生地 | アメリカ合衆国インディアナ州インディアナポリス |
没年月日 | 1930年10月28日(72歳没) |
死没地 | アメリカ合衆国インディアナ州インディアナポリス |
配偶者 | ジェームズ・ロバート・マッキー |
親 | ベンジャミン・ハリソン、キャロライン・ハリソン |
子女 | ベンジャミン・ハリソン・マッキー、メアリー・ロッジ・マッキー |
政党 | 共和党 |
生涯
編集インディアナポリスで生まれ、1884年11月5日に同地においてゼネラル・エレクトリックの創業者の1人であるジェームズ・ロバート・マッキー(James Robert McKee)と結婚した。マッキーとの間に、ベンジャミン・ハリソン・マッキー(Benjamin Harrison McKee、ベビー・マッキーとして知られた)、メアリー・ロッジ・マッキー(Mary Lodge McKee)の2人の子を儲けた。
1892年10月に母キャロラインが死去し、メアリーは亡母の代理としてファーストレディを務めるようになった。1892年の大統領選挙での再選を目指していた父ハリソンが民主党候補のグロバー・クリーブランドに敗れ、彼女のファーストレディとしての日々は翌年3月4日で終わった。
その後、ハリソンとメアリーの関係は、メアリーの従姉妹で既に前の夫と死別して未亡人となっていたメアリー・ロード・ディミック(en:Mary Dimmick Harrison)とハリソンが恋愛関係になったことを巡って険悪になった[1]。1896年にハリソンがメアリー・ロード・ディミックと再婚すると、父娘は二度と口をきかなくなってしまった。1901年に、父危篤の知らせを受けたメアリーはインディアナポリスに戻ったが、時は既に遅く数時間前にハリソンは他界していた。
メアリーは72歳で死去し、インディアナポリスにあるクラウンヒル墓地(en:Crown Hill Cemetery)に埋葬された[2]。
なお、メアリーは2010年の時点において、夫人がいなかった大統領のファーストレディを務めた最後の人物である。
脚注
編集- ^ メアリーと同名のこの女性は、年齢も同じ(約1ヶ月だけメアリー・ロード・ディミックの方が年下であった)で、前夫ウォルター・ディミック(Walter Erskine Dimmick)とは1882年に死別していた。
- ^ Mary Scott Harrison McKee(1858 - 1930) Find A Grave 2010年11月7日閲覧
関連項目
編集外部リンク
編集- The First Ladies White House biography 2010年11月7日閲覧
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