メアリー・トッド・リンカーン
メアリー・トッド・リンカーン (Mary Todd Lincoln 1818年12月13日 - 1882年7月16日)は、エイブラハム・リンカーン第16代アメリカ合衆国大統領の妻(アメリカ合衆国のファーストレディ)。
メアリー・トッド・リンカーン Mary Todd Lincoln | |
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メアリー・トッド・リンカーン | |
生誕 |
1818年12月13日 ケンタッキー州レキシントン |
死没 | 1882年7月16日 |
身長 | 157 cm (5 ft 2 in) |
配偶者 | エイブラハム・リンカーン |
子供 |
ロバート・トッド・リンカーン エディ・リンカーン ウィリー・リンカーン タッド・リンカーン |
生涯
編集ケンタッキー州の名門の出。高い教育を受け、名門トッド家の一員として社交界にデビューし、 その後、イリノイ州のスプリングフィールドでリンカーンと出会うことになる。
社交的・派手好きで、リンカーンとはまったく正反対の性格だったが1842年に恋愛結婚をした。結婚後、リンカーンは弁護士業も着々成功。年収1200ドルに達する。知事の報酬と同額である。その代り、巡回裁判所を廻らねばならず、1日50キロも馬を飛ばすこともあった。
リンカーンの妻としては悪妻としての評判が強まっている[1]。メアリーは嫉妬深く、ヒステリー症状のため家庭生活はあまり幸福ではなかった。アメリカの作家、デール・カーネギーには「彼(エイブラハム・リンカーン)が暗殺されたことは、彼の結婚にくらべれば悲劇というに足りない」(『人を動かす』)とまで言われている。
リンカーンとメアリー・トッドには4人の息子、ロバート・トッド・リンカーン、エドワード・ベイカー「エディ」リンカーン、ウィリアム・ウォレス「ウィリー」リンカーン、トーマス「タッド」リンカーンがいたが、長男を除く3人が若くして死んだ。
元々精神的に不安定なところがあった彼女は、夫の暗殺を目撃し、さらに末の息子であるタッドを18歳で亡くすと、ますます異常をきたしたため、長男のロバートにより精神病院に入れられた。 4か月後に姉のエリザベスが身元引受人になることで退院したが、この出来事により最後に残った子供であるロバートとは生涯疎遠となった。 その後スプリングフィールドにある姉の邸宅で事実上の世捨て人として63歳で亡くなるまで過ごした[2]。
出典
編集- ^ “DV妻がリンカーンを名大統領に押し上げた7つの方法”. 女性自身. (2013年5月4日) 2024年3月14日閲覧。
- ^ ドリス・カーンズ・グッドウィン『リンカーン』平岡緑訳 中公文庫 2013年
関連項目
編集外部リンク
編集- Mary Todd Lincoln House (National Park Service)
- Mary Todd Lincoln House (Official Home Page)
- Mary Todd Lincoln Research Site
- Mary Todd Lincoln in 1862 Harper's Weekly Newspaper
- Especially for students - An Overview of Mary Todd Lincoln's Life
- Mr. Lincoln's White House: Mary Todd Lincoln
- "Wet with Blood," Research Project on Mary Todd Lincoln's Cloak, Chicago History Museum (formerly Chicago Historical Society)