ムーズ県
フランスの県
ムーズ県 (ムーズけん、Meuse) は、フランスのグラン・テスト地域圏の県である。県名は県内を流れる川の名(ムーズ川)に由来する。
ムーズ県 Meuse | |
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ムーズ県章 | |
位置 | |
概要 | |
県番号 | 55 |
地域圏 | グラン・テスト |
県庁所在地 | バル=ル=デュック |
郡庁所在地 |
コメルシー ヴェルダン |
郡 | 3 |
小郡 | 31 |
コミューン | 500 |
県議会議長 |
クロード・レオナール 共和党 (フランス 2015-) |
統計 | |
人口 国内88位 |
(2010年) 193,923人 |
人口密度 | 31人/km2 |
面積¹ | 6,211 km2 |
¹ 「French Land Register data」(1平方キロ以上の湖沼、エスチュアリー、氷河などの水面積除く。 |
歴史
編集ムーズ県は、フランス革命の1790年3月4日に83の県の1つとして、1789年12月22日制定の法律に基づいて設置され、共和国発足時の領土としてはロレーヌ地域圏のもっとも西側に位置していた。
この県は、設置以来、県内の各境界がほとんど変動しなかった。1997年にアン=ドヴァン=ピエールポン(Han-devant-Pierrepont)という小さなコミューンが、ムルト・エ・モーゼル(Meurthe-et-Moselle)へと異動した例はある。 ムーズ県、とりわけ1916年のヴェルダンは、第一次世界大戦の主要な戦闘現場であった。(ヴェルダンの戦い)
地勢
編集県境は、アルデンヌ県、マルヌ県、オート=マルヌ県、ヴォージュ県、ムルト=エ=モゼル県、さらに、ベルギー王国にも接している。
気候
編集ムーズ県の気候は海洋性気候と大陸性気候の両方の影響を同時に受ける為に、平均的とされる時期を横切るように気候が変動し、暑期や雨季の間を繰り返している。
降水量は、東部地域では、多い時は900mm前後を上下することもあるが、850mmを切ることもある。中部地域のバロワでは1000mmを超える。
人口統計
編集1968年 | 1975年 | 1982年 | 1990年 | 1999年 | 2006年 | 2011年 | 2011年 |
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210 000 | 203 904 | 200 101 | 196 000 | 192 443 | 192 499 | 193 557 |
Sources : INSEE[1] - Quid 2003[2] - INSEE recensement 1999[3]
主なコミューン
編集人口3000人以上のコミューン | |
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2014 | |
ヴェルダン | 18 327 |
バル=ル=デュック | 15 759 |
コメルシー | 6 262 |
サン=ミイル | 4 339 |
リニー=アン=バロワ | 4 170 |
エタン | 3 768 |
ベルヴィル=シュル=ムーズ | 3 205 |
ティエルヴィル=シュル=ムーズ | 3 041 |
レヴィニー=シュロルナン | 3 005 |
観光・文化
編集観光には2つの側面がある。グリーン・ツーリズム(アルゴンヌの森、ウォエヴルの湖沼郡)と、一方で第一次世界大戦の史跡(ヴェルダン、ドゥオモン)である。
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ヴォーデモン伯の居城コメルシ城
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バル=ル=デュック
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ヴォークオワにたつ第一次大戦の慰霊塔
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モンメディ
出身者
編集ゆかりのある人物
編集- ジャンヌ・ダルク - ニシンの戦いの敗北を予言し、ヴォクルールからシノンの王太子の下に向かうことになった。ジャンヌ・ダルク自身は、隣県にある現在のヴォージュ県ドンレミ=ラ=ピュセル出身。
脚注
編集出典
編集- ^ INSEE - Estimation de population au 1er janvier, par département, sexe et grande classe d'âge (Microsoft Excelの.xls)
- ^ Quid 2003 : pages 821 et 870 à 873
- ^ INSEE recensement 1999 - département de la Meuse
外部リンク
編集- Prefecture website (in French)