ミンゲチェヴィル

アゼルバイジャンの都市

ミンゲチェヴィル(アゼルバイジャン語: Mingəçevir)はアゼルバイジャンのクバ・カチュマズ地方の都市である。2015年の人口は約10万人で、4番目に大きい。都市を分断するクラ川の水力発電所から、「光の都市」として知られる。この地域には何千年も前から人が住んでいるが、市制は1948年である。第二次世界大戦で捕虜になったドイツ兵が収容されていた。 [2] ミンゲチェビル工芸機関が有る。

ミンゲチェヴィル

Mingəçevir
ドイツ人捕虜によって建設された建物
ドイツ人捕虜によって建設された建物
Location of ミンゲチェヴィル
北緯40度46分12秒 東経47度02分56秒 / 北緯40.77000度 東経47.04889度 / 40.77000; 47.04889
アゼルバイジャンの旗 アゼルバイジャン
経済地区 中央アラン
設置 1948年
面積
 • 合計 47 km2
標高
545 m
人口
(2015)[1]
 • 合計 100,775人
 • 密度 2,100人/km2
等時帯 UTC+4 (AZT)
市外局番 +994 024 27
ウェブサイト Official website

歴史

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スキタイの金の帯(紀元前7世紀)
 
南象の骨(紀元前60万~40万年)(ミンゲチェヴィル歴史博物館収蔵)
 
ミンゲチェヴィル教会群から発見されたカフカス・アルバニア王国の十字架
 
アルバニア文字が刻まれた、カフカス・アルバニア王国の台座

紀元前3000年頃、既に定住が居た。

紀元前2世紀カフカス・アルバニア王国が成立した。

紀元前1世紀、ポンペイ将軍率いるローマ帝国軍と、オリス王率いるカフカス・アルバニア王国軍が現在ダムが有るクラ川の丘で戦った。

17世紀オスマン帝国エヴリヤ・チェレビはミンゲチェビルを訪れ、ボズダグ山の近くのクラ川の丘に大きな町が有ると述べた。モスクの他に絹糸・絹服工場、公衆浴場が有った。大通りは「使者の道」と呼ばれ、中東の大都市と繋がっていた。

1930年代中頃、水力発電所の建設に先立って、人類学者が調査を行った。

第二次世界大戦によって調査は中断された。戦後、すぐに水力発電所の建設が始まった。国中から2万人の労働者が集まった。その半分はドイツ人捕虜だった。

1948年、市に昇格した。

気候

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ミンゲチェヴィルの気候
1月 2月 3月 4月 5月 6月 7月 8月 9月 10月 11月 12月
平均最高気温 °C°F 7.1
(44.8)
8.6
(47.5)
12.9
(55.2)
20.9
(69.6)
26.0
(78.8)
30.0
(86)
33.9
(93)
32.6
(90.7)
28.4
(83.1)
21.0
(69.8)
14.4
(57.9)
9.3
(48.7)
20.43
(68.76)
平均最低気温 °C°F −0.9
(30.4)
0.4
(32.7)
4.0
(39.2)
9.3
(48.7)
14.2
(57.6)
18.6
(65.5)
21.6
(70.9)
20.6
(69.1)
17.0
(62.6)
11.1
(52)
6.2
(43.2)
1.4
(34.5)
10.29
(50.53)
降水量 mm (inch) 19
(0.75)
25
(0.98)
27
(1.06)
39
(1.54)
54
(2.13)
49
(1.93)
26
(1.02)
27
(1.06)
26
(1.02)
53
(2.09)
30
(1.18)
22
(0.87)
397
(15.63)
出典:Climate-Data.org

[3]

民族・宗教

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姉妹都市

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脚注

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[1]

  1. ^ http://rupino.com/city

外部リンク

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