ミルトン・ヒューメイソン
ミルトン・ラ・サール・ヒューメイソン(Milton La Salle Humason[1], 1891年8月19日 - 1972年6月18日)は、アメリカ合衆国の天文学者である。日本語ではハマソン[2]、フーマソン、フマーソン[1][3]などとも表記される。
ミルトン・ヒューメイソン Milton La Salle Humason[1] | |
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生誕 |
1891年8月19日 アメリカ合衆国 ミネソタ州ダッジセンター |
死没 |
1972年6月18日(80歳没) アメリカ合衆国 カリフォルニア州メンドシーノ |
研究分野 | 観測天文学 |
研究機関 | ウィルソン山天文台 |
主な業績 | 銀河系外星雲スペクトルの赤方偏移の測定 |
プロジェクト:人物伝 |
経歴
編集ミネソタ州ダッジセンター生まれ。ヒューメイソンは14歳で学校を中退し、それ以降正式な教育を受けなかった。山、特にウィルソン山を愛した彼は、ウィルソン山天文台の建設中に資材や設備を山へ運ぶラバ使いとなった。1917年、ヒューメイソンはウィルソン山天文台の守衛として雇われ、全くの興味から天文台の夜間の助手となることを志願した。ヒューメイソンは博士号どころか高校卒業の資格も持っていなかったが、その静かな態度とスキルが研究者たちから認められ、1919年に台長のジョージ・エラリー・ヘールはヒューメイソンをウィルソン山天文台のスタッフとして採用した。これは異例のことであったが、ヒューメイソンは観測によって重要な発見を成すことで、ヘールの判断が誤りでないことを示した。彼は、観測でかすかな銀河の写真や難しいスペクトログラムを得ることで、細心の注意を払う観測者として知られるようになった。彼の観測は、宇宙物理学の発展に大きな役割を果たした。特に、1928年に測定した系外銀河のスペクトルの赤方偏移は、1929年にエドウィン・ハッブルがハッブルの法則を発表する一助となった。1950年、スウェーデンのルンド大学から名誉博士号を授与された。1956年には新たな観測結果を元にハッブルの法則の修正をおこなった[1]。1960年に非周期彗星C/1960 M1、1961年に近日点が火星軌道より遠い彗星C/1961 R1(フマーソン彗星)を発見した。
1919年12月27日から29日[注 1]にかけてヒューメイソンがウィルソン天文台で撮影した写真乾板に冥王星が写されていたことが、1930年にクライド・トンボーによって冥王星が発見された後に判明した[4][5]。
エポニム
編集脚注
編集注釈
編集- ^ 現地時間。
出典
編集- ^ a b c d 原恵 著「フマーソン Humason, Milton La Salle」、中山茂 編 編『天文学人名辞典』(初版第一刷)〈現代天文学講座 別巻〉、1983年3月25日、148頁。 NCID BN00165458。
- ^ “ハマソン”. 天文学辞典. 日本天文学会 (2018年5月14日). 2021年11月14日閲覧。
- ^ 小暮智一『現代天文学史 天体物理学の源流と開拓者たち』(初版第一刷)京都大学学術出版会、2015年12月10日。ISBN 978-4-87698-882-2。
- ^ Nicholson, Seth B.; Mayall, Nicholas U. (1931). “Positions, Orbit, and Mass of Pluto”. The Astrophysical Journal 73: 1. Bibcode: 1931ApJ....73....1N. doi:10.1086/143288. ISSN 0004-637X.
- ^ “(134340) Pluto”. IAU Minor Planet Center. 2021年11月14日閲覧。
- ^ “(2070) Humason = 1954 UJ1 = 1964 TQ = 1964 XM = 1974 QP = 1974 RB2”. MPC. 2021年7月12日閲覧。