ミルク・グロット
ミルク・グロット教会、またはミルク・グロット、聖母マリアの洞穴、聖母の乳の洞窟礼拝堂(英語: Chapel of the Milk Grotto of Our Lady, Milk Grotto Church; ラテン語: Crypta lactea; アラビア語: مغارةآلسثئ; ヘブライ語: מערת החלב)は、1872年に建立された、パレスチナ・ヨルダン川西岸地区のベツレヘムにあるローマ・カトリック教会の礼拝堂である[1][2][3][4]。古来この地は、キリスト教徒の巡礼の中心地のひとつであった。フランシスコ会の聖地信託事業により、マリア廟と修道院共々、その建立以来維持されている。
ミルク・グロット教会 | |
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Crypta lactea Milk Grotto Church مغارةآلسثئ מערת החלב | |
正面外観 | |
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北緯31度42分12秒 東経35度12分34秒 / 北緯31.7034度 東経35.2095度座標: 北緯31度42分12秒 東経35度12分34秒 / 北緯31.7034度 東経35.2095度 | |
所在地 | ベツレヘム |
国 | パレスチナ |
教派 | カトリック教会 |
建築物 | |
完成 | 1872年 |
管轄 | |
教会管区 | 聖地信託事業 |
聖職者 | |
担当司祭 | フランシスコ会 (en) |
概要
編集パレスチナ地方の都市ベツレヘムにある教会。 幼子イエスを抱えたヨセフとマリアがエジプトに脱出するまで、ヘロデ王の兵士から身を隠したとされる洞窟がある場所に建つ。 マリアの乳房から母乳が滴り落ち、岩が白く染まったという伝説がある。
歴史
編集現在のカトリックの礼拝堂は、かつて5世紀頃にビザンティン教会(ギリシャ正教エルサレム総主教区)があった場所に、1872年に建てられた。古い教会は、モザイクの床のほんの一部が残っている。
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信仰
編集キリスト教の伝承によれば、エジプトに逃れる前の聖家族が「ヘロデ大王による幼子の虐殺」のあいだ、この場所に避難していたという。聖母マリアの胸から「乳が一滴」洞穴の床に落ち、そこが白く染まったという物語にこの名前は由来する。この空間は3つの異なる洞穴からなり、夫婦間の不妊の癒しを期待する巡礼者が訪れる。
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ギャラリー
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内観
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祭壇前
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地下洞穴へ至る階段
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ロバに乗った聖家族像
出典
編集- ^ «La Gruta de la Leche en Belén» (Spanish)
- ^ Kohn, Michael (2007-01-01) (英語). Israel & the Palestinian Territories. Lonely Planet. ISBN 9781864502770
- ^ Kirk, Martha Ann (2004-01-01) (英語). Women of Bible Lands: A Pilgrimage to Compassion and Wisdom. Liturgical Press. ISBN 9780814651568
- ^ Korb, Scott (2010-03-18) (英語). Life in Year One: What the World Was Like in First-Century Palestine. Penguin. ISBN 9781101186015
関連項目
編集外部リンク
編集- “Chapel of the Milk Grotto”. Bethlehem Municipality: City Portal. 2021年9月27日閲覧。