クリーブランド・スタジアムCleveland Stadium)は、アメリカオハイオ州クリーブランドにかつて存在したスタジアムクリーブランド・ミュニシバル・スタジアムまたは単にミュニシパル・スタジアムと呼ばれたこともある。MLBクリーブランド・インディアンスが1932年から1993年まで(1932年から1946年までは前本拠地リーグ・パークと併用)、NFLクリーブランド・ラムズが1937年から1945年まで(1938年と1942年を除く)、同クリーブランド・ブラウンズが1946年から1995年まで本拠地にしていた。

ミュニシパル・スタジアム
Cleveland Stadium
Lakefront Stadium
施設データ
所在地 1085 West Third Street
Cleveland, OH 44114
起工 1930年6月24日
開場 1931年7月1日
閉場 1995年12月17日
取り壊し 1996年11月
所有者 クリーブランド市
グラウンド 天然芝
建設費 300万ドル(1931年) 、
500万ドル(1967年・改修) 、
360万ドル(1974年・改修)
設計者 F.R. Walker (Walker & Weeks)
建設者 Osborn Engineering Co.
使用チーム • 開催試合
クリーブランド・インディアンス(1932年 〜 1993年) 、セントルイス・ラムズ(1937年 、1939年 〜 1941年 、1944年 〜 1945年) 、クリーブランド・ブラウンズ(1946年 〜 1995年)
収容人員
74,483人
グラウンドデータ
球場規模 左翼 - 320 ft (約97.5 m)
左中間 - 385 ft (約117.3 m)
中堅 - 400 ft (約121.9 m)
右中間 - 385 ft (約117.3 m)
右翼 - 320 ft (約97.5 m)
バックネット - 60 ft (約18.3 m)
フェンス 8 ft (約2.4 m)

「1932年に開催される夏季オリンピック誘致のために建設された」と言われているが、これは間違い。開催地は既にロサンゼルスに決まっていたため。

秋から春にかけて冷たい風が吹き込み、夏には蚊やカゲロウの群れが飛来することから観客の評判が非常に悪く、また選手からも「グラウンドのコンディションが酷い」「ダグアウトで下水が逆流する」と文句が絶えなかった。このため「湖畔の失敗The Mistake on the Lake)」と蔑まれた。

現在、跡地にはブラウンズの本拠地クリーブランド・ブラウンズ・スタジアムが建っている。

日本のプロ野球チーム、中日ドラゴンズのかつての本拠地・ナゴヤ球場(建設時は『中日スタヂアム』)はこの球場をモデルに設計している。

主要な出来事

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野球

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アメリカンフットボール

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脚注

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外部リンク

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前本拠地:
リーグ・パーク
1901 - 1946
クリーブランド・インディアンスの本拠地
1932 - 1993
次本拠地:
プログレッシブ・フィールド
1994 - 現在
前本拠地:
n/a
-
セントルイス・ラムズの本拠地
1937 - 1945
次本拠地:
ロサンゼルス・メモリアル・コロシアム
1946 - 1979
前本拠地:
n/a
-
クリーブランド・ブラウンズの本拠地
1946 - 1995
次本拠地:
クリーブランド・ブラウンズ・スタジアム
1999 - 現在
先代
ポロ・グラウンズ
クロスリー・フィールド
LAメモリアル・コロシアム
リグレー・フィールド
ドジャー・スタジアム
MLBオールスターゲーム開催場
第3回(1935年
第21回(1954年
第28回(1960年
第34回(1963年
第52回(1981年
次代
ブレーブス・フィールド
ミルウォーキー・カウンティ・スタジアム
ヤンキー・スタジアム
シェイ・スタジアム
オリンピック・スタジアム