ミトロファン・ベリャーエフ

ミトロファン・ペトローヴィチ・ベリャーエフロシア語: Митрофа́н Петро́вич Беля́ев, ラテン文字転写: Mitrofan Petrovich Belyayev, 1836年2月22日 - 1904年1月4日)は、19世紀ロシア帝国の豪商。篤志家として、芸術家を庇護し、自らの姓を冠した楽譜出版社を創業するなど、ロシア文化の振興に寄与した。

ミトロファン・ペトローヴィチ・ベリャーエフ
基本情報
生誕 (1836-02-22) 1836年2月22日
出身地 ロシア帝国の旗 ロシア帝国サンクトペテルブルク
死没 (1904-01-03) 1904年1月3日(67歳没)

なお、ベリャーエフという姓ならびにベリャーエフ社のラテン文字による綴りには、Belaieff もしくは Belayev といった例が使われる場合があり、このため日本では「ベライエフ」と呼ばれることがある。ロシア語の発音により忠実な表記は「ミトラファーン・ピェトローヴィチュ・ビェリャーイェフ」となる。

経歴

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サンクトペテルブルクに生まれる。父親は豊かなロシア人の大地主で材木商であり、母親はスウェーデン人であった。早くから家業に携わってバイヤーとして名を上げ、その後は父親の会社を引き継いだ。しかしながら、当初は密かなものではあったが、音楽に入れあげるようになっていく。学生時代にヴァイオリンヴィオラピアノ演奏の手ほどきを受けており、ヴィオラ奏者として弦楽四重奏の演奏をたしなんでいた。後にペテルブルク室内楽奏者のサークルに加わるようになり、アナトーリ・リャードフアレクサンドル・ボロディンといった、当時のロシア楽壇の主導的な作曲家とともに国内外(とりわけバイロイト)を訪れて音楽の知見を深めている。またドイツ語などいくつかの外国語にも通じていた。

 
イリヤ・レーピンによる肖像画(1886年)

1882年に、最初の交響曲が初演されたばかりの17歳の新進作曲家、アレクサンドル・グラズノフと出逢い、これがロシア楽壇の担い手というベリャーエフの行く末を決める重大な出来事となった。ロシア人作曲家の売り込みに深く関与するにつれて、材木商としての活動から徐々に手を引くようになったのである。1884年に、毎年開催のグリンカ賞を創設し、「ロシア五人組」の全員とピョートル・チャイコフスキーに加えて、アナトーリ・リャードフに賞金を授与している。1885年には楽譜出版社のベリャーエフ社 (M.P. Belaieff) をライプツィヒにおいて創業し、グラズノフの《ギリシャの主題による序曲》を皮切りに、その後10年間に1,200曲もの楽譜を頒布した。ベリャーエフ社の楽譜は質の良い校訂が行われ、作曲家は通例よりも好意的な報酬を受けるとともに、上演権を完全に掌握することができた。したがってベリャーエフは、ロシア音楽の広がりと普及に重要な貢献を果たしたのである。

当初はベリャーエフ自身が発表する作品を選んでいたが、やがてニコライ・リムスキー=コルサコフやリャードフ、グラズノフといった顔触れの審査団と打ち合わせるようになった。国民楽派寄りのペテルブルクの作曲家だけでなく、西欧指向のモスクワの作曲家、セルゲイ・タネーエフアレクサンドル・スクリャービンもベリャーエフ社の事業計画に受け入れられた。十月革命の後もベリャーエフ社は、第二次世界大戦までライプツィヒで営業していたが、戦後はボンに移り、さらにフランクフルト・アム・マインに移転した。しかし1971年に、フランクフルトのペータース社に経営を譲渡した。

1885年にはペテルブルクで「ロシア交響楽演奏会」を発足させ、1891年より毎週自邸で音楽サロン「金曜日の四重奏」("Les Vendredis") を主宰した。ベリャーエフに庇護された作曲家は、庇護者を称えて、こうした機会に楽曲を提供しており、リムスキー=コルサコフとボロディン、リャードフ、グラズノフは、《B-A-Fの音符による弦楽四重奏曲》(Aはドイツ音名でラ音のことであり、すなわちB-La-Fと置き換えて読むと「ベー・ラー・エフ」となることにかけている)を共作した。このような合作企画のもう一例として、アレクサンドル・コプィロフニコライ・ソコロフ、スクリャービンも個別の楽章の作曲に参加した《ロシアの主題による変奏曲》が知られている。この他にも、リムスキー=コルサコフらによる16曲の弦楽四重奏のための作品が残されており、1989年にまとめて出版された。このうち、ボロディンが《スケルツォ》を後に《交響曲第3番》に転用した。

この「ベリャーエフ・サークル」は、著名な音楽学者アレクサンドル・オソフスキーとも緊密な関係を保っていた。

1886年には、ロシア五人組と近しいロシアの画家イリヤ・レーピンが、ベリャーエフの肖像画を描いた。

参考資料・外部リンク

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脚注

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