ミツ・ヒライ1943年2月15日 -2003年10月28日 )は、日本プロレスラー兵庫県神戸市出身。本名:平井 光明(ひらい みつあき)。

ミツ・ヒライ
プロフィール
リングネーム ミツ・ヒライ
富士 辛太郎
本名 平井 光明
ニックネーム 突貫ファイター
身長 179cm
体重 104kg
誕生日 (1943-02-15) 1943年2月15日
死亡日 (2003-10-28) 2003年10月28日(60歳没)
出身地 兵庫県神戸市
トレーナー 力道山
デビュー 不明
引退 1978年8月27日
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息子の平井伸和もプロレスラー。

来歴

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1958年日本プロレスに入門、1964年にアメリカに遠征しテネシーではトージョー・ヤマモトとのコンビでテネシー地区世界タッグを獲得している。1969年にはシンガポールに遠征しフジ・シンタロー(富士幸太郎)のリングネームで活躍した。

1970年NWAタッグリーグ戦ではジャイアント馬場とチームを組んで出場。日本プロレスの崩壊の後に全日本プロレスに移籍し(正式には、1976年3月31日までは日本テレビと3年契約を結んだ上、全日本へ派遣されていた。同年4月1日付で全日本正式所属選手となる)、1978年8月27日に現役を引退した。

現役時代は、ドロップキックの名手として知られた。『神様』ことカール・ゴッチと対戦したこともある[1]

息子の伸和が地元神戸での全日本プロレスの興行に参戦した2001年6月、初めて息子の観戦に訪れプロレス誌にもその模様が記載された。その後、2003年1月全日本プロレス大阪大会でも観戦。

2003年10月28日、心不全のため60歳で死去した。

得意技

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脚註

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  1. ^ 「ミツ・ヒライ」 思い出のレスラーたち プロレス爆裂地帯 2010年3月23日参照